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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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里の霊山寺:「宮脇遺跡」第5次調査現地公開説明会②

 何度か説明会に来たのは、線として興味がつながってきたからだ。
 今年のその線は、昨年の説明会で池と庭園の話が出たことであり、新聞報道では、宮脇遺跡の南部から、新たに石積みの遺構が発見された事を報じていたことだ。
 そこから、一歩引いてみると全体的なイメージが気になる。
 今年の説明会では、調査が行われている全体が分かる図が配られた。その図をもとに、自分なりにイメージできたことを確認する。
a0087378_5303141.jpg
 一番北側の奥の一段高い位置に「1号礎石建物跡」がある。これが、「庫裏(くり)」など生活に関連する施設とのことだった。
 次の大きな広い平場が、「2号礎石建物跡」だ。そこには、池や庭園がある。
 その南の「3号建物跡」は、廻廊とかかわるのかどうか。建物の柱跡があったということだった。
 そして、今年は、その南一段下がった平場に、石積み遺構が見つかったということのようだ。

 これが、全体の概要のようだが、その中心は「2号礎石建物跡」のようだ。
 ここは、平成19年の2次調査で、建物の規模が明らかになっているようだ。
 その規模は、東西4間、南北3間以上のものであった。柱間が、2m10㎝(7尺)で、建物西側に基壇状の石組の施設が見つかっている。出土遺物は、仏具主体であることから仏道にあたると考えられたようだ。
 昨年(平成21年)の第4次調査では、その「2号礎石建物跡」周辺を中心に発掘調査され、この建物には基壇が伴っていて、その基壇の周辺は石組で構成されていることが分かったということだ。
この基壇の南側には洲浜が広がり、東側には池泉が広がる庭園状の遺構が存在するのだろうということだった。それ以前の調査等ともかかわって総瓦葺きだった可能性が高いということ等も確かめられたという。
 これらの事から、「2号礎石建物跡」が宮脇遺跡の中でも非常に格式が高く、重要な建物になる可能性があるとされたという経緯のようだ。
 今年のこの辺りの調査では、「2号礎石建物跡」の北東角あたりと東の池の広がりにかかわるあたりを確認したようだ。

 言い方は慎重だが、応永8年(1401)に伊達氏が深くかかわって再建された「霊山寺」であり、それは伊達氏がその威信にかけて、鹿苑寺を中心とした京都の文化を見事にここに実現して見せたとだと言いたいのだろう。
 その根拠の一つが瓦だ。
 ここで発見された瓦は、梁川の茶臼山西遺跡(東昌寺)で発見された軒瓦と同じ文様である。その東昌寺は伊達氏が創建した寺院の中でも室町時代筆頭の寺院である。また、それは京都の鹿苑寺の瓦の影響を受けていると解説されていた。
 更に、東側に池泉が広がる庭園状遺跡の存在が確認されたことで確からしさが増したと云う事なのだろう。
by shingen1948 | 2010-12-12 05:36 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)