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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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霊山寺縁起と天海僧正③:伊達市歴史文化講演会②

 「伊達市歴史文化講演会」の時に、ロビーに千葉県香取市の善雄寺に安置されている阿弥陀如来の実物大の写真が展示された。この頭部は、元々は里の霊山寺の御本尊であったと思われる阿弥陀如来の頭部らしいということだ。
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 霊山寺縁起の「文禄年中(1592~96)伊達政宗が、仙台に国替えになり、蒲生氏郷家臣の岡野佐内という者に一山の寺領が召し上げられ、堂塔伽藍や寺まで打ち破られ、山の古木は伐採されて、持ち運んだ」ということとかかわるのだろう。
 この時代に、里の霊山寺の御本尊であったと思われる阿弥陀如来の頭部が、千葉県で発見されたようなのだ。この事については、「霊山町『宮脇遺跡』発掘調査説明会④~本尊の発見」で整理した。
 この頭部に胴部が付けられ、千葉県善雄寺に安置されたということらしい。
 仏像は、高さ176㎝の座像で、胎内墨書銘によると、頭部は「伊達郡霊鷲山」より出現の慈覚大師の御作」とあり、平安時代に霊山山頂に霊山寺を開山した慈覚大師円仁とのかかわりを示しているという。
 胴部は、江戸期の宝永年間(1704~10)に香取郡佐原村の伊能氏が胴体部分を完成させ寄進したことが示されているとのことだ。

 その千葉県香取市の善雄寺に安置されている阿弥陀如来の実物大の写真を制作して、霊山寺の本堂に掲げたという(「福島民友」2009/8/27)ことだが、その事については、「宮脇遺跡現地説明会⑥」で整理した。これが、今回展示されているということのようだ。

 地元の研究会ではこの事についての考察がなされている。そのことについて「霊山町『宮脇遺跡』発掘調査説明会⑤~『霊山史談』」として整理した。
 千葉県善雄寺で発見された霊山寺の御本尊であった阿弥陀如来の顔の特徴から、10世紀末から11世紀初頭と推定している。口絵部分の説明によると、その特徴を髪際水平、三日月型の目が切れ長で細い、鼻の穴は空けず、耳朶の穴がなく、藤原初頭~中期の特徴があるという。本文も読むと、特に目の特徴を中心に年代を特定したようだ。
 その仏像の頭部内部に、奥州伊達郡霊鷲山より出現したもので、慈覚円仁の作とする墨書銘があるという。

 この研究会誌では「ふくしまの仏像」で「最初の寺院」として整理される「陸奥の三山とする大蔵寺・菩提寺・仁部(仁生)寺」についてもふれているので、そのかかわりについても整理した。
 湯野不動寺の縁起から、霊山寺が円仁の寺と呼ばれていたこととその創建の年代を推定し、この仁部(仁生)寺が霊山寺で、円仁の姓が仁生であることと結びつけることが面白かった。そして、菩提寺を西原廃寺として、その創建を徳一と興福寺で同窓の智興であるとし、廃寺の金堂規模の大きさの考察から、恵日寺と同時期と推定する。
 この菩提寺は、830年に定額寺に昇格することから、西原廃寺はそれ以前の創建とする。

 11月27日には、その里の霊山寺である「宮脇遺跡」の発掘現地説明会があった。
by shingen1948 | 2010-12-10 05:09 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)