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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「天海僧正両親の墓」(龍興寺)に立ち寄る

 会津に出かけることがあったら、天海僧正ゆかりの地を確認したいと思っていた。今回は、それ程時間的なゆとりが無かったので、とりあえず「龍興寺」に立ち寄った。
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 寺前に建つ会津美里教育委員会の案内板には、この寺にかかわって、国宝(昭和27年3月29日再指定)「一字蓮台法華経開結共【9巻】」・県指定重要文化財(昭和47年4月7日指定)「絹本著色両界曼荼羅【2幅】」、そして、町指定史跡(昭和43年2月22日指定)「天海僧正両親の墓」について説明される。
 「天海僧正両親の墓」では、次のように説明する。
 
墓地内に五輪塔2基がある。大正4年に黒板、辻両博士の調査で発見確認された。当寺は天海縁の寺であり、また天海誕生地と伝えられる場所も近くにある。

 全国には、天海僧正生誕地とされる処が10ヶ所以上あるらしい。
 歴史学者の黒板勝美氏と辻善之助氏の両博士が、それら天海の生誕地確認調査をしている中で、大正4年にこの地を訪れたらしい。その調査中に、龍興寺墓地内から父親の名である「景光」の刻印のある五輪塔2基を発見したという。
 この両親の墓が有るという事から、天海の生地は高田であることが有力になったという事だ。ただ、天海と龍興寺、そして、天海或いは龍興寺と当時の会津領主葦名氏を結び付ける資料がないことから、まだ確定的ではないという話も聞く。
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 とりあえず、「天海僧正両親の墓」らしきものを確認する。
 ヒントは、1対の五輪塔で、台座にはかすかに「景光」の名が見えるということと、ポータルサイト等にある写真だ。 多分、この五輪塔だろうと思う。


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 ここで、目印にしたのは、1対の五輪塔とこの二本の石柱の感じ。

 天海大僧正の両親とされる方は、舟木兵部少輔景光夫妻とか。
 景光夫妻は長い間、子が授からなかったが、神仏への信心によって天海が授かったとか。
 天海11歳の時に、この寺で得度し諸国に修行に出たが、23歳で母の病気のため会津に帰ったとか、母は領主芦名盛安の娘であったとか。
 天海は、芦名盛氏の懇請により会津稲荷堂の別当に迎えられたとか、母親が芦名に縁のあったことから伊達政宗に滅ぼされた芦名の最後の領主、義広を護って常陸まで送ったとか等々……。
 これらのことが、資料がなくまだ伝説的な話ということと結びつくのだろうか。
by shingen1948 | 2010-12-03 06:00 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)