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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」⑳~黒塚②

 鬼伝説の鬼婆を埋めた塚が、「黒塚」と呼ばれている。芭蕉も、それを追う子規も鬼の住家とされる観世寺を訪れる前に黒塚を訪れている。
 杉田から奥州街道を進んだ子規は、「二本松の町を過ぎて、野を行くこと半里、阿武隈川を渡れば、道筋に老杉がある。」ということだ。
 この野は、最近もここを通ったが、阿武隈川改修工事が進行中で、その風景は大きく変わっている。
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 阿武隈川を渡るのは、芭蕉は「供中の渡し」だが、子規は「供中橋」だ。その橋のたもとには茶屋があって、帰りに子規はこの茶屋で休んで、その主人に紹介されて満福寺へ向かうことになる。
 散策で、以前橋が架かっていたところとその橋げた跡を確認している。この時は、芭蕉の「供中の渡し」を想像しているので、そのずれを漠然とみていた。しかし、子規を意識すると、その橋を渡ってくることになるので、その橋も気になる。
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 絵葉書などを見ると、この橋は子規の時代は木製の橋だったようだ。散策で確認した橋げた跡は、その後の堤防工事があって、その後に造られたものではないかと想像する。
 その橋げた跡の脇道あたりをもっと先に進んで、その奥の川岸から阿武隈川を渡ったのではないかと想像する。位置的には、現在の安達橋よりも南側であろうと思う。
 そして、更にその脇辺りに、渡しへの路があったのだろうと想像する。芭蕉の足跡を再掲する。
 二本松の町、奥方ノはづれニ亀ガヒ(亀谷)ト云町有。ソレヨリ右之方ヘ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通リテ壱リ程行テ、供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡し有リ。その向ニ黒塚有。(中略)それヨリ又、右ノ渡ヲ跡ヘ越、舟着ノ岸ヨリ細道ヲつたひ、村之内ヘかゝり、福岡村ト云所ヨリ二本松ノ方ヘ本道ヘ出ル。(随行日記)

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 川を渡った後の風景だが、「その老杉の下に「黒塚」という碑を建てて、兼盛の歌を刻む」ということでは、今も子規が見たそのままの風景だと思う。ただ、ここが、後ろに写る新たな堤防の内側になり、周りが整備されるという事で、その雰囲気は随分違うようだ。


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 子規は、塚の老杉の木末も、枝の先も大方枯れ残っていて、鬼女の爪のようだと描写する。
 「兼盛の歌を刻む」と紹介するのは、その昔、平兼盛が詠んだ「みちのくの安達ケ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」(拾遺和歌集)の句。
by shingen1948 | 2010-12-01 05:23 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)