「もう一つの奥の細道」⑱~「飯坂温泉」③
2010年 11月 28日
飯坂の老舗旅館「花水館」とともに消える風景を確認しておきたいと思って整理した「滝の湯」温泉だが、子規が訪れた時期は、ここを飯坂温泉の中心地にしようとする時期と重なる。
花水館が、滝の湯に移ったと思われるのが、明治20年から明治22年の間だと思われるというのは、「花菱屋」から「花水館」に改めるのが、明治20年のようなのだ。明治22年には、今までの花菱屋を中村屋旅館に譲っているわけだから、角屋、枡屋、花水館の老舗が、滝の湯を中心とした温泉街を構築していたと思われるのだ。正岡子規が飯坂に来るのは、明治26年(1888年)なので、ここが飯坂の老舗旅館が立ち並ぶ温泉街の中心地になっていたと思われるということだ。
〇 ふくしまの建築42~花水館⑤「滝の湯温泉」③
〇 福島の建築42~花水館④「滝の湯温泉」②
〇 福島の建築42~花水館③「滝の湯温泉」
〇 ふくしまの建築42~花水館②「不易と流行」(※ これは、湯町の風景として、先に整理し直している。)
〇 ふくしまの建築42~花水館
〇 飯坂温泉:「滝の湯温泉」④と若葉町
〇 飯坂温泉:「滝の湯温泉」③
〇 飯坂温泉:「滝の湯温泉」②
〇 飯坂温泉:「滝の湯温泉」:「桝屋」
これ等は、子規が十綱橋まで散歩した時に見た飯坂側の風景とかかわる。
この温泉街を構築し直そうという動きのきっかけは、明治21年(1888)4月の大火だったようだ。
湯町から出火した火は、西風にあおられて、湯沢・十綱町に延焼し、飯坂の風景を一変させているようだ。この時に鯖湖湯も焼失しているらしい。
湯町の中核となる鯖湖湯も再建されるのが、明治22年(1889)だ。鯖湖神社が建立されるのは、明治24年(1891)という事だ。子規は、これら新築されたばかりの風景を見ていたと想像される。
「福島の建築 32」で鯖湖湯を整理する時に、子規についてふれないが、頭の中では明治26年夏を意識してはいる。