「もう一つの奥の細道」⑩~「信夫(忍)の里」
2010年 11月 19日
この時には、子規が訪ねた福島の風景という事にしか意識が無い。ここに、子規の状況を加えると、紹介状を携えるというカビの生えた交流から脱却し、芭蕉の世界を希求する姿だったろうと想像できる。
「はて知らずの記」では、滞在場所は某宿とし、主人は俳句をたしなむ方との紹介だ。
福島で「小川太甫訪問」とする資料があって、これが、そのことと結びつく事柄なのか、それとも、三輪氏の紹介状に登場する事から推定された事なのかは、素人には分からない。
少なくとも、「はて知らずの記」という公の表現の中では、芭蕉の世界を希求することに専念している。
子規は、芭蕉翁の心情を忠実に深めて理解するために、芭蕉が立ち寄らなかった所まで丁寧に立ち寄っていく。この姿勢が、福島の街を歩き信夫山に出かけるということに結びついているのだと思う。
万葉の昔、文知摺り染めの「しのぶくさ」が野生していたという「しのぶの里」と其の名を付した「信夫山」であり、芭蕉翁が通ったしのぶの里の散策する。そんなイメージではなかったかと思う。
しかし、追われる芭蕉は、期待した神尾氏の頼りに裏切られ、それでもその場を落ちどなく繕う随行者が準備したきれいな宿でただくつろいだだけだったはずだと思う。
単に散策する立場の者にとっては、子規がイメージした芭蕉翁が描いたであろう「しのぶの里」という心象風景は、実際の芭蕉翁自身が描いた「しのぶの里」のイメージよりも深かったのではないかと思えてくるのだ。
「奥の細道」を深読みする方法を教わっている。そんな感じだ。