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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」⑧~「文知摺観音」②

 先の「文知摺観音」の整理もそうだが、文知摺観音に来る時には、芭蕉の「奥の細道」を中心に意識している。しかも、この整理の時には、芭蕉翁を追う子規を全く意識していなかった。
 今回は、その子規を意識の中心に散策する。
 芭蕉翁を追うという視点からは離れていないのだが、その距離感が違う。たったそれだけで風景が違って見える。
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 「はて知らずの記」で、「正面に桜の木が高く植えた下に蕉翁惹摺の句を刻んだ石碑がある」とするのは、この碑のことだ。今回はアップで捉えてみる。
 案内板が建ち、寛政6年(1794)5月京都の俳人丈左房が追遠の句会を開催し、自ら揮毫し霊山町の松青と協力して建立したものと説明する。
 掲げられる句は、元禄2年(1689)旧5月2日門人曾良とともに文知摺石を訪ねて詠んだ句。
  「早苗とる手もとや昔しのぶずり」
 この句の変遷については、「『文知摺観音』での忘れ物②」で整理している。この句碑にあるのは、その初期の「早苗とる」だ。
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 「はて知らずの記」は、「奥の細道」で中心的に紹介されることになる大石を意識している。
 「其後に柵で囲んだ高さ一間、広さ三坪程のところに、出ている大石が忍摺の名が残ると聞いた。
 その左の石階を登ると、観音堂はそれほど壮大さはないが彫鏤色彩を凝している。昔のさまは偲ばれる。」

 「奥の細道」のこの章の理解には、この「文知摺石」と「もちずり絹」のかかわり、「鏡石」と「虎女伝説」のかかわりを知ることが必要だ。
 芭蕉の「奥の細道」でも説明されるが、子規の「はて知らずの記」でも同じように丁寧に説明されている。この姿勢が、仙台での子規と微妙に違うように感じる。
 子規は、仙台でも芭蕉翁が訪ねたところを追うのだが、子規自身の視点で捉えなおしている。そして、「奥の細道」でふれた事は説明し直したりしない。勝手に、ここに子規の微妙な変化を感じているのだが、どうだろうか。
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 これが「子規の句碑」だ。その脇に案内板が建つ。真筆というので、アップしてやや修正を加えて、文字が浮かびやすいようにした。

子規の句碑
 明治26年(1893)7月25日子規がこの地を訪れ詠む
 涼しさの昔をかたれ
         しのぶ摺

 句碑は、昭和12年11月子規追遠会に建立された。
 書は子規の真筆である。
      信夫文知摺保勝会

by shingen1948 | 2010-11-15 05:45 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)