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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」⑥

 子規の時代の桑折街道は、おおよその道筋は見当がつく。恐らく県道桑折線に沿って暫く進み、「つつじが岡遺蹟」あたりに出て、奥州街道につながるのだろうと思う。
「もう一つの奥の細道」⑥_a0087378_64437.jpg
 しかし、子規が目指すのは桑折駅だ。
 途中、線路が見えたあたりから、その線路沿いの道を進まないだろうか。そんなことを思いながら、線路沿いの道を歩いて、駅をめざしてみる。


「もう一つの奥の細道」⑥_a0087378_654786.jpg
 桑折駅に着く。
 駅前の細道に、羽州街道追分へ抜ける道だと案内する。奥州街道を進んできたとしても、追分から羽州街道に向かって進めば、桑折駅は直ぐ近くの位置ではあるようだ。

 子規は、桑折駅から汽車で岩沼に向かい、実方の墓をめざした事は先に記した。
 その後、増田(現名取駅)から汽車で仙台駅に向かう。仙台では、病のせいか、旅の疲れか、ともかく一日中睡魔に襲われてこんこんと寝る。
 そして、その後に積極的な新たな行動を開始する。

 ここで、本当は松原から桑折宿までの「奥の細道」にかかわる道筋は分からなくなっていることに気づく。
 この辺りでは、西根下堰と西根上堰は接近して、やがて離れて行く。その間を桑折街道が走り、桑折宿につながっているという道筋の状況だ。
 桑折街道も、「つつじが岡遺蹟」あたりの奥州街道から延びる古道と思われる道筋と重なりあう。
 案内に忠実に従って、西根上堰沿いの道をそのまま進んでも、睦合辺りで奥州街道に向かう道筋に重なる。そのまま堰沿いに進んでも、産ケ沢の迂回で回り込んで、奥州街道にたどる道筋につながる。
 この松原と奥州街道を結ぶ古道の道筋は、必ずしも西根堰沿いとは限らないように思えるが、帰りはその産ケ沢の迂回あたりから、西根上堰沿いの道を戻ってみる。
by shingen1948 | 2010-11-13 06:17 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)