「もう一つの奥の細道」⑥
2010年 11月 13日
しかし、子規が目指すのは桑折駅だ。
途中、線路が見えたあたりから、その線路沿いの道を進まないだろうか。そんなことを思いながら、線路沿いの道を歩いて、駅をめざしてみる。
桑折駅に着く。
駅前の細道に、羽州街道追分へ抜ける道だと案内する。奥州街道を進んできたとしても、追分から羽州街道に向かって進めば、桑折駅は直ぐ近くの位置ではあるようだ。
子規は、桑折駅から汽車で岩沼に向かい、実方の墓をめざした事は先に記した。
その後、増田(現名取駅)から汽車で仙台駅に向かう。仙台では、病のせいか、旅の疲れか、ともかく一日中睡魔に襲われてこんこんと寝る。
そして、その後に積極的な新たな行動を開始する。
ここで、本当は松原から桑折宿までの「奥の細道」にかかわる道筋は分からなくなっていることに気づく。
この辺りでは、西根下堰と西根上堰は接近して、やがて離れて行く。その間を桑折街道が走り、桑折宿につながっているという道筋の状況だ。
桑折街道も、「つつじが岡遺蹟」あたりの奥州街道から延びる古道と思われる道筋と重なりあう。
案内に忠実に従って、西根上堰沿いの道をそのまま進んでも、睦合辺りで奥州街道に向かう道筋に重なる。そのまま堰沿いに進んでも、産ケ沢の迂回で回り込んで、奥州街道にたどる道筋につながる。
この松原と奥州街道を結ぶ古道の道筋は、必ずしも西根堰沿いとは限らないように思えるが、帰りはその産ケ沢の迂回あたりから、西根上堰沿いの道を戻ってみる。