「もう一つの奥の細道」④
2010年 11月 11日

また、桑折街道の旧道の道筋を想像しながら脇道に逸れながら進むと、枯れて倒木された根元に、「覚英僧都袈裟掛けの松」などとの案内の標柱を見かける。
これらも、この松原の松と權上僧都覚英の話を伝説化していこうとした名残であろうか。

西根堰沿の街道は、「西根堰」それ自体をたどったり、「奥の細道」を探りながら散歩した時に歩いたりして歩いる。堰の脇道は、ほぼ等高線に沿っているので、自転車で遠出をする時に使う事もあって何度も歩いていた。それでも、「葛の松原」の標柱が建っているのを見つけたのは最近だ。

そちらの道筋にのりかえて進んでみると、畑の中を進んだあと、古道らしき道筋に出る。雰囲気のある道筋で、どこか懐かしい感じはするが、そちらに案内する意図までは分からない。
松原も見当たらない。

しばらく道なりに歩いて行くと、民家に入り込んでしまうので、そこからまた西根堰沿いの道に渡って進んでいくと、子規がやすんだという茶屋を経由して松原寺前の旧道につながっていた。
もし、これが古道なら、どの時代とのかかわりなのかも定かでない。
子規を意識すればバイパス化する前の桑折線、「奥の細道」を意識すれば西根堰沿いに通っていたといわれる桑折宿までの道筋、もっと遡れば、覚英僧都の時代や西行時代の古道とのかかわりが気にはなる。
更にいえば、桑折町のパンフにある覚英僧都が庵を結んだという松原諏訪地内と、西行がこのあたりを通り、その庵跡を訪ねた古道等々も気になりだす。
芭蕉は、西行を敬慕していたと聞くが、そのゆかりの地であるこの「葛の松原」については、一言もふれないで通り過ぎていく。