地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂温泉:「滝の湯温泉」④と若葉町

 新聞のコラム「正岡子規の福島俳句紀行」の中に、尾崎紅葉来福で描かれる若葉町と似ている表現をみつけた。
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 (子規は)飯坂温泉の風景を『新町とて遊郭あり。櫓に提灯をつけて男女4~5人が三味線にあわせ踊るあり。これを盆踊りというとぞ』と記している。
 ただ、自分の見た「はて知らずの記」では、この紹介を見つけることはできない。多分、別な史料があるのだろうと思う。
 明治30年尾崎紅葉来福の民報の記事は、「二人の画伯(富岡永洗、水野年方)が、絃皷の響きを何かと尋ねて、酌婦が飯坂の盆踊りだと応え、二人は宿の主人に案内させて和泉楼に遊んだ」と世慣れた文人が若葉町で遊ぶ様子を伝える。
 これを、粋な応答ととらえたのだが、「正岡子規の福島俳句紀行」では、一般的に飯坂花町の特徴をそんなふうに言われていたと主張したかったのかもしれないとも思う。

 自分が見た「はて知らずの記」でとらえる特色あるこの地域の風習は、キュウリと茶菓子の事だけだ。
 土地の人は、普通にキュウリを生でかじるのはまくわ瓜を食べるようだとか、一般に客をもてなすのに、茶を煎じて、茶菓子の代わりに砂糖漬けの野菜を出すなどその質素さは関西より西にはない習慣だといったことだ。
 飯坂の賑わいについては、「明日は土用の丑の日なので、夜になって、近隣の村々から来る温泉客が絶えない。旅館は空き室もなく、青楼余妓も無いという。その盛況ぶりを思うべし。」と表現する。地域の特色としては、もう一つ。ここは佐藤嗣信等の故郷だから佐藤という性を名乗るのが多いとのことだ。

 「はて知らずの記」には表現しないが、他で表現することに気になるものがみつかることがあるのも確かだ。
 「寒山落木」の「二十六年夏」の項に記されることが、気になっている。
 凌霄花「りょうしゅうか」
 飯阪妓廟
 凌霄やからまる縁の小傾城

 盛況の旅館で働く芸妓の姿が、明の部分だとすれば、定住の当てもなく亡くなった芸妓の墓は、その陰の部分だろうか。子規は、その両方を訪ねているように見える。生と死のコントラストをみているのだろうかと考えるのは、気にし過ぎで深読み過ぎだろうかとも思う。
by shingen1948 | 2010-11-07 05:25 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)