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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂温泉:「滝の湯温泉」③

 滝の湯温泉にある飯坂三大旅館とされる「角屋」「花水館」「桝屋」を確認すると、無機質な情報が、生き生きとした情報に変わることもある。

 本当は、子規が飯坂を訪れた情報を探しいていたのだが、そちらの情報には出会えずに尾崎紅葉の情報に出会う。
 明治30年8月5日~8月10日までの福島民報の紅葉氏の追っかけ記事だ。雰囲気としては、現代の芸能レポートのような記事だが、その頃の飯坂の賑わい方とその頃の世なれした方の遊び方の典型のようなものが感じられる。
 尾崎紅葉氏が福島の福陽館に一泊した後、飯坂で2~3日滞在し、穴原温泉に2週間籠り、再び福島に移動するようだが、これを追う記事だ。その記事の中心が飯坂温泉だ。
 ここには、当時の有名人漫遊家らしい野崎左文翁とか、画家富岡永洗、水野年方、中央新聞記者村松柳江、劇通老大家某氏などとの動向が記される。
 この時点で、静かに静養する穴原温泉と愉快に遊ぶ飯坂温泉という場面が設定される事がわかる。
飯坂温泉:「滝の湯温泉」③_a0087378_5554597.jpg
 飯坂での様子は、滝の湯の花水館に、投宿した上記の文人達の描写から始まる。
 そこで、若葉町の絃皷の響きを聞くのだが、この若葉町が花町である事を皆が知っているということを前提にして話が進む。滝の湯の花水館と若葉町の位置関係も分かっているという前提だ。
 記事には「館女お清」が登場するが、これは酌婦だろうか。

 世慣れた二人の画伯が、この絃皷の響きを何かと尋ねると、お清が、飯坂の盆踊りだと応えたという。粋な応えといいたかったのだろうか。
 それで、二人は宿の主人に案内させて和泉楼に遊んだようだ。ここで、左文翁も呼ぼうということになり、使いに便りを持たせる。
 一方、左文翁は、花水館の宿泊簿で紅葉を見つる。そして、二人の便りに、
 盆前や飯坂おどり見にごされ 
                     土佐将監
                     狩野元信
と書き改めて、先のお清さんに届けさせる。

 山人は、この悪戯を怪しんだり、友人かもしれないと迷ったりする描写があって、
 なのれ なのれ雨の中ゆく不如帰紅葉山人
と記してお清に渡したというのが、8日の記事だ。

 次の日も関連記事が続く。
 お清は、一応この便りを左文翁と老大家の許に届け、そして、楼の二人にも届ける。
 ここで、老大家が思案した後で、このことを山人にばらすという仕掛けをする。それで、山人が驚くと共に、二人を担ぎあげることになるということだ。
 「なのれ なのれ雨の中ゆく不如帰」の下に、「それ箭一本夏の刈倉」と脇をつけて、お清に届けさせ、山人と老大家が出会う。

 次の日に探偵員を装った手紙を角屋の使者として届けさせるという悪戯に発展して、この二人とも合流して、花水館で朝まで酒を酌み交わす。
 次の日の紅葉山人招待会まで、記事は続く。

 当時の飯坂温泉の賑わい方の一側面が、見えたような気がする。
by shingen1948 | 2010-11-06 06:00 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)