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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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湯野の切湯温泉

 「家のあひ」よりほとばしる滝を求めて行く中で、その子規が湯野の温泉に泊まったという情報に出会う。「はて知らずの記」の描写からは鯖湖温泉に泊まっていると思うのだが、一応その情報を確認することにした。
 その情報の一つが「松葉屋」で、もう一つがまだ不明なところがあるが「和田屋」というものだ。いずれも、その根拠となるものは確認できていない。

 「松葉屋」説は、「パルセいいざか」の掲示板にある。「はて知らずの記」の解説文の中に、「松葉屋」説を打ち出している。
a0087378_6104973.jpg
 現時点で情報を確かめられそうなのは、新松葉屋だ。
 その沿革を確かめると、明治45年に割烹旅館新松葉として木造2階建てで開業とある。飯坂温泉の中でも屈指の90年の歴史を誇るが子規にはやや足りない。そう思ったら、当時の松葉屋から独立したとある。
 確かに、古い地図では、「シンマツバヤ」と「松葉ヤ」が並んでいる。先に想像したように、「新松葉屋」の本家筋が「松葉ヤ」ということのようだ。
 ここに位置情報が含まれていて、古い建物の入り口は、共同浴場「狐湯」の所だったいう。
 現在の玄関位置は、昭和38年の鉄筋コンクリートの新館建築の時点のようだ。

 「はて知らずの記」には旅館の具体名はなかったはずで、自分はその描写からは鯖湖湯の旅館を想像する。
 それでも、この情報の確認で、子規が朝の散歩で眺めた湯野側の景色が少し明確になる。
 整理すると、この新松葉屋は創業明治45年ということなので、子規の時代は存在しない。その本家である「松葉屋」が、割烹旅館としてあったわけだが、ひょっとすると今の新松葉屋に近いのかもしれない。
 そして、この北側の共同浴場「狐湯」との間に、子規が感じた「家のあひの滝」・鏡花の「藤の花なる滝」が流れ落ちていたのではないかという想像ができそうだ。もう一度繰り返して記す。

 涼しさや瀧ほどばしる家のあひ
by shingen1948 | 2010-10-31 06:18 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)