地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建築42~花水館③「滝の湯温泉」

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 ここに花水館が移動してきた時に、その中心となる共同湯は「滝の湯」だろうか。その共同浴場「滝の湯」の跡地が、最近新たに整備され直されたようだ。


 その「滝の湯跡」地に建つ案内板では、次のように説明されている。

 滝の湯は古くからの温泉で、江戸時代に鯖湖湯・当座湯・波来湯とともに実在が確認されています。昭和12年に焼失し、その跡は埋められたままになっていました。
 周囲には今でも、明治・大正時代の面影が残されています。

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 案内板には、その「滝の湯温泉」が賑わっていた時代の写真が掲げられた。
 昭和12年に焼失とのことなので、それ以前の様子ということだろうか。古い飯坂温泉を知らない者にとっては、ここに写っているものと自分が知っていることを結びつけるという作業をしないと、そのまま懐かしい世界に入ることができない。
 この写真では、左端が共同湯滝の湯とのことだ。右の奥の大きな旅館らしき建物から共同湯まで下ってくる屋根つきの階段らしき建物が印象的だ。
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 これは「飯坂温泉史」の中にあった地図の「滝の湯」周辺部分だ。この古い地図に書かれていることとその位置関係から、写真の被写体を推測してみる。
 まず、この地図の「タキノユ」が「滝の湯」だろう。近くに「花水館」が表記されているということで、この地図が明治20年以降の様子という事が分かる。
 西滝の町の点線で囲まれているが、今回の新聞報道記事では、この「常泉寺」が花水館の建物部分も含めた土地の所有者らしいことを伺わせる内容があった。どこで聞きかじったかは忘れたが、この寺の名も「滝の湯」とかかわるという話を聞いたことがある。昔は、太平寺と呼ばれていたそうだが、それを「滝の湯」とかかわり、山号を「巌湯山」として「常泉寺」とか。
 もう一つ。多分、明治13年の飯坂大火も、この寺とかかわると思う。

 その一角には「辰巳屋」が見える。花水館から道を挟んで南にあるのが「畠名粕店」だろうか。そして、「大沢」「マスヤ」「春日ヤ」とある。これが滝の湯温泉の旅館群だろうか。これが若葉町に続く。
 堀切邸に掲げられていた大正時代の写真の説明の情報も合わせて見比べると、「マスヤ」が「枡屋」であろうと推測できる。そこにあった老舗「角屋」は、この地図にはない。大正時代あたりから栄えた旅館だろうか。
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 先の写真の脇にこの写真もあって、渡し船を説明する。この写真の方が、階段が目印になって共同湯「滝の湯」の位置がイメージしやすい。その階段を登った所にある建物が、共同湯だろう。
 その手前に大きく移っている建物が「枡屋」だろうか。花水館は、共同湯「滝の湯」を中心にそれを囲むように建っている建物群だろうか。
 「角屋」がよく分からないが、それらの右手の建物ということだろうか。
 
 ここまで読み取ったことを頭において、そのイメージを先の地図に重ねる。
 気になった屋根つきの階段らしき建物が「辰巳屋」とかかわるのだろうか。
by shingen1948 | 2010-10-15 05:18 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)