地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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ふくしまの建築42~花水館

 飯坂温泉の老舗名門旅館「花水館」は、破産手続き中だったが、その建物を聚楽が取得したとのニュースを見た。数カ月内に建物が取り壊されるとのことだ。
 ただ、敷地内にある明治30年築の貴賓室「御殿の間」(国の登録有形文化財)と庭園は残し、公園などに整備活用するということらしい。
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 取り壊されるのは、昭和和37年以降に建てられ、老朽化が進んだ旅館部分とのことだ。塀の部分はどうなるのか分からないが、古い絵ハガキなどを見ると門のアーチの部分などに違いはあるものの門から玄関にかけてのアプローチ部分は、その雰囲気を保っていたように感じる。
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 先に、「福島の建物⑥―その6」で、「ノートルダム修道会」を整理した時に、ヘレン・ケラーの昭和12年(1937)の来福とのかかわりについてふれたが、その時に宿泊して「温泉日本」を満喫したのもこの花水館だ。
 ここには、昭和22年に戦後初の東北巡幸のため来県された昭和天皇が宿泊して以来、35年と59年の本県視察の際にも「お泊所」になったという。
 取り壊される部分との関連でいえば、その59年の視察の時点での外観の建物ということだろうか。

 花水館は元禄元年(1688)創業の老舗だが、現在地に新築移転してきたのは、明治20年だろうか。鯖湖湯前の現中村屋の案内等から、「花水館」は、それまでは、「花菱屋」として現中村屋で鯖湖湯を中心に旅館を営んでいたことが読み取れる。
 その建物を中村屋に譲って、屋号を「花水館」に改めて移転したということだと思う。その時代は、飯坂大火とかかわる街の整備がからんでいるはずだと思う。この時代の飯坂の出来事と重ねてみる。
 明治21年(1888)4月5日「飯坂大火」
 湯町から出火した火災は西風にあおられて、湯沢、十綱町に延焼し、178戸が灰になる。この時、鯖湖湯も焼失している。
 明治22年(1889)鯖湖湯が再建される。飯坂町が誕生する。
 明治24年(1891)鯖湖神社が建立される。
 明治26年(1893年)正岡子規が飯坂を訪れ「鯖湖湯」を詠む。
 「夕立や人声こもる湯のけむり」

 飯坂温泉の紹介に、この時の堀切良平が私財で焼け跡の整備に奔走したとある。そこに掲げられた次の事柄が、その時期の飯坂の変革とも取れる。
 1、焼け跡の旧道を広げる。
 2、土地の高低をならし、古戸、東滝ノ町、湯沢の畑に新しい道を造る。
 3、新町(しんちょう)(錦町、古戸町、旭町、鯖湖町、若葉町)を設置し、摺上川沿いの若葉町に遊郭を移転する。
 また、「飯坂の碑」が八幡神社境内へ移転される。

 その変革が行われているという時代背景とかかわりながら、花水館の移転があったということになるのだろうと思われる。
 当時は、共同湯を中心にして各旅館が建ち並ぶという事のはず。その共同湯が、滝の湯なのだろうか。芭蕉句碑が残るこの共同浴場が整備されたのは、この時期ということになるのだろう。
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by shingen1948 | 2010-10-13 05:57 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)