地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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平成22年 桑折西山城本丸跡 発掘調査 現地説明会⑤

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 東側の追手門から本丸に続く平場にも、たくさんの掘立柱跡があったようだ。ただ、明確に建物のイメージはつかめなかったようだ。
 これは、その発掘された所を北西側から見ている。奥に見えるのが、一昨年の柵の跡がみつかったといわれているあたり。


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 その中で注目したいのは、建物の礎石らしいものが、見つかったことということのようだ。ただ、一部ずれた気配もあるともいう。

 西山城本丸平場の中心的な建物跡は、3棟の掘立柱跡だったようだが、1号棟の内部の痕跡が曖昧だったということとかかわるのだろうか。少なくとも、礎石を使った建物が、この本丸の平場にあったという可能性を示唆するものなのだろうか。


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 これは余計な話で、これは何だと思ったのは、これ。好奇心が強いのか、説明も受けない余計なものに目がいく。
 まだ、掘るのが中途なのだろうか。何かがありそうに感じるが、小心者は質問もできない。

 最近、自分のとった記録を見て、無駄を精査していることが気になっている。
 実際には、かかわりのないことをいろいろと考えながら見ている。それは本筋にかかわりのない余計なことだとして、取り払われていることが多いのが気になりだした。寄り道を大切にするという趣旨に反しているような気がしてきたのだ。思い出せる無駄な思いも記録してみる。
 国会図書館を見せていただいた時に、何でも保存するのが趣旨だというようなことを聞いて、感動したはず。


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 こちらは、西山城本丸平場の中心的な建物跡が見つかった西側(※自分の感覚では南側)の建物跡。こちらも、明確な建物のイメージはつかめていないようだ。


 昨日整理した主要な建物跡が見つかったところと合わせて、これ等が一段高まりのある本丸平場の当時の地表の様子ということになるらしい。
 西山城本丸は、ここから西に一段下がった平場も含めてみるようなので、「一段高まりのある本丸平場」としている。
 
by shingen1948 | 2010-09-14 05:02 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)