「福島と戦争」⑩~模擬原爆(パンプキン)投下
2010年 09月 05日
それでも、全国で49個の模擬爆弾が投下された地点がプロットされた展示に興味を持つ。50に近いという数に対する驚きだ。
模擬原爆の投下練習は、1945(昭和20)年7月20日から8月14日にかけて、原爆投下目標になった京都(最後除外される)・広島・新潟・長崎などの周辺都市を中心に、次の29市町の44目標に、模擬原爆49発が投下されたということのようだ。
東京、富山、長岡(新潟県)、敦賀(福井県)、福島、島田(静岡県)、焼津(静岡県)、浜松(静岡県)、名古屋、春日井(愛知県)、豊田(愛知県)、大垣(岐阜県)、四日市(三重県)、大阪、和歌山、宇部(山口県)、新居浜(愛媛県)など計18任務、延べ50機。
その経緯の一覧が展示されているが、田村氏のホームページでは、その中から、主なものが整理されているので、そちらを引用させていただく。
最初の一発は、7月20日午前8時13分頃、新潟県長岡市の信濃川近くの畑に投下された。ここでは、畑にいた20歳と15歳の兄弟を含む4人が死亡、5人が負傷した。
31戸に被害が発生し、グランドゼロには直径15~20メートル、深さ5メートルのくぼみができた。(長岡市のほか新潟県内では柏崎市、旧鹿瀬町【現阿賀町】に投下されている)。
同日(7月20日)午前8時34分、福島市の福島駅近くの渡利地区にも投下される。ここでは、当時14歳だった1人の少年が命を落とした。自宅近くの田んぼで草とりをしていたところ、約30メートル離れた地点に爆弾が落ち、爆風に襲われたのであるが、時の新聞は「被害極めて軽微なり」としか伝えなかった。
同日(7月20日)午前9時前、1機のB-29が模擬原爆1個を現在の静岡県焼津市中港5丁目に投下した。爆発で、6人が負傷し6戸が全壊した。
同日(7月20日)午前9時すぎ、日立市にも模擬原爆が落ちた。ここでは1人が死亡し、10人近くが負傷した。
同日(7月20日)午前9時26分、大阪市・田辺上空のB-29から1発の模擬爆弾が投下された。ここでは死者7人、重軽傷者73人、倒壊など485戸の被害が出た。グランドゼロは現在の東住吉区田辺1丁目6-7市立田辺小学校のすぐ北側で、直径数10メートルの巨大な穴ができた。
初日に、多くのB29が一斉に各地に出かけ、模擬爆弾を投下しているようだ。その後は、いろいろな投下のバリエーションがあるようだ。
7月24日、3機のB-29が、新居浜市の住友化学工業と住友アルミニウムに模擬爆弾を投下、内、2発が工場などに命中し、両工場の4千平方メートルが損壊した。
7月26日に、富山市では4発の模擬原爆が投下された。その一発目を投下したB-29「ボックスカー」が、8月9日長崎市に「ファットマン」を投下したという。
なお、広島市に原爆を投下した「エノラゲイ」は、訓練では、名古屋で模擬原爆を投下したとのことだ。
7月29日、山口県宇部市に3発の模擬原爆が投下され、20数人が死亡するなどの被害がでた。
そして、8月6日に広島原爆が投下され、8月9日の長崎原爆投下される。
ここで、訓練の導入展開終末は完結するはずだが、実際には別の動きもあるようだ。
18月6日に広島原爆が投下されて、2日後の8月8日は、長崎原爆投下の前日にあたる。その日の午前9時ごろ、重要港湾都市の一つであった福井県敦賀市東洋町にあった東洋紡敦賀工場に模擬原爆が落とされ、キノコ形の煙が上がったとのことだ。
爆弾は工場の巻糸室付近を直撃し、厚さ約5センチの大理石でできた変電所の配電盤も爆風で飛ばされ、工場は「がれき」の山となり、死者は33人に達した。学徒動員で働いていた敦賀中学校と敦賀高等女学校(いずれも現・敦賀高校)の生徒や教員も犠牲となったとのことだ。
敗戦前日の8月14日には、愛知県挙母(ころも)町(現豊田市)の豊田自動車挙母工場(現・トヨタ自動車本社工場)を狙って3発の模擬爆弾が投下されているという。死者こそ出なかったが、工場には大きな被害がでたという。
「春日井の戦争を記録する会」の調べでは、模擬原爆による被害は、約420人が死亡、約1200百人の負傷とのことだ。なお、模擬原爆と判明したのは、1991年になってからだという。
整理してみると、この図の背景にある「意欲を持って原爆投下ができるパイロットを養成するカリキュラム」が見えてくる。