「福島と戦争」⑨~模擬原爆(パンプキン)投下
2010年 09月 04日
そこで、渡利に落とされた模擬原爆破片の展示を見つけた。その破片は、瑞龍寺の破片に比べて、やや焼けただれているような気がする。
興味深いのは、瑞龍寺の模擬原爆破片の他にもあるということが一つ。
もう一つが、そこに表示されている内容だ。
米軍500キロ爆弾破片
昭和20年福島市渡利に降下(投下?)セルモノ
渡利に落とされた模擬原爆は、4.5tのはずなのに、これが「500キロ爆弾破片」とされている。案内表示も、「500キロ爆弾破片 福島市教育委員会蔵」とされている。「500キロ爆弾」というのは、固有名詞化されているようなのだ。
想像するに、ここに記載された段階で、常識と照らし合わせて一般的に渡利に落とされた爆弾は「500キロ爆弾」だったと思われていたということではないかと思うのだ。
それは、大型爆弾が落とされたとしての常識なのか、当時の普通の爆弾の常識なのか、被害から見たやや小さめの爆弾の常識なのかは確認できなかった。
少なくとも4.5tという模擬原爆の大きさは、当時の常識の9倍の大きさということになるのではないだろうか。
このことは、予定通りに事が進んだ時の想像にも当てはまる。
予定通りなら、福島市街地の西端に2発の4.5tの爆弾が投下されるが、これが、当時の常識の9倍の4.5tという大きさの爆弾で、それが2発ということだ。
単なる重さではなく、そこには「充分な殺傷」能力のイメージもあって、これも上方修正されてしかるべきかと勝手に思う。