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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福島と戦争」②

 戦争展をみたことと散策を重ね合わせて整理する。
 信夫山地下工場の散策は、大きくは「山根工場」と「金竜抗工場」に分かれる。実際には、山根工場は、更に第一工場と第二工場に分けて散策し、金竜抗工場は、北側と南側に分けて散策した。
 今までは、できるだけ正確に整理することに心がけていたのだが、今回はそこに躊躇するものがあった。それは、とりあえず入口はコンクリートで固められてはいるのだが、実際に散策してみると、完全な危険防止は不可能なのではないかと思ってしまったからだ。
 そんな迷いの中で、とりあえず羽山散歩の一場面として「信夫三山⑬ ~ 羽山⑨」として整理を始めている。ここではコンクリートで固められた入口の写真だけ載せている。曖昧な説明で、金竜抗工場の南側1.2階入り口の周辺写真と山根工場第一工場の写真が一枚紛れ込んでいるのは、この時点での意図的なものもある。
 社説では、信夫山そのものを遺産としてはどうかという提案をしていた。多分、理念だけの話なのだとは思うが、真剣な提案ならハードルの高い課題が多くありそうな気がする。
 実際に散策をしていくと、危険防止の問題のほかに、民地とのかかわりもある。入り込まないように注意はするが、それでも実際にはいつのまにか間違って入り込んでしまって、慌てたりもしている。
「福島と戦争」②_a0087378_520375.jpg
 今回の戦争展では、信夫山全体の模型が展示している。散歩したことをいろいろ思い出しながら散歩の全体のイメージ整理をさせてもらった。
「福島と戦争」②_a0087378_5325117.jpg
 








 更に、並べられていた冊子の中に地下工場の全体計画図があったので、これと重ね合わせてみた。 
 驚いたのは、北側は更なる開発の計画があったようだということ。特に東側の金竜抗工場の北側は、北口めざして散策したその道下あたりまで計画されていたらしいということだ。
 思い出してみると、荷物を持ち上げる設備に使ったのだろうと想像した溝があった辺りなのだろうかと勝手に思う。
by shingen1948 | 2010-08-27 05:35 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)