人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

安江繁家30

 安江繁家氏を追う形で散策を始めたのは、根津監物氏の墓碑を確認したことからだった。散策の範囲では、安江家伝でいわれていることと、大笹生地区でいわれていることが統合できる感じはした。
 散歩するものにとっては、墓も史跡ではあるが、墓は本来弔い、死者の霊を慰めるために追善供養が営まれるところである。そうして、周忌が重ねられて先祖の霊として神格化されていくという現場でもある。
 3つの石碑が建つところは、そういった現場でもある。祈る者と知ろうとする者の間には感覚のずれがある。
a0087378_5212136.jpg
 地域の資料を確認していくと、祈る立場からすると「捐舘楽翁心安居士神儀」の墓石が、神格化された地域の長の象徴らしいことが確認できる。恐らくイメージとしては、大井山城守であり、根津監物氏であり、代官様であった方であり、根津家の御先祖様であり、言い伝えの根津賢物氏であったりするものの統合されたものなのではないかと想像する。もっと大きくこの3つの石碑全体にそのイメージが重なるのかもしれない。
 masa氏から、大笹生笹谷文化財保存会「-ふるさと再発見-地域の石造文化財」にこの石碑が載っているとの情報を頂いた。
 そこに、「損舘楽翁心安居士神儀 寛永17年3月20日(墓碑伝根津監物)」とあるとのことだ。 (masa氏注「損は捐」、「3月20日は3月24日」)
 この冊子は目にしていたが、その事は見逃していた。この冊子は、平成元年8月から4年かけて信陵地区(大笹生、笹谷)にある1,360の石造文化財を調べたものとのことだ。


 安江家伝をもとに史跡として散策すると、この石碑が「安江繁家」氏の墓碑と想定されるという事になるということだ。詰めていくと、この祈りと史跡のずれは避けられないのも自然なような気もする。
Commented by MASA at 2010-08-22 07:10 x
根津(安江)監物の墓碑は、「殿様の墓所」に地震で倒れいくつかに壊れたままでしたが、平成13年7月、根津家の方々が法名をもとに復元されたとのことのようです。
by shingen1948 | 2010-08-22 05:25 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(1)