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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安江繁家29

 ものごとを理解する時に、モデルケースで考えると頭の中が整理しやすい。しかし、出来事は、決してモデルケースでは起きてくれない。そのモデルケースとの出来事のずれが気になるのだが、それは、できるだけモデルケースに当てはめて理解しようとするからだ。
 そんな事を頭に置きながら、ここで安楽寺の創建とのかかわりについて整理しておく。これは、直接的には地元の問題なので、情報から想像できる事という限定した範囲で整理しておく。

 地元の大方の説は、安楽寺の創建は、根津監物氏とされる。ただ、その父である繁家の創建という説も見ないわけではない。
 その根拠になりそうなのが、二つのことだ。
 その一つが、寛永17年3月24日の楽翁心安居士にかかわるためらしいということだ。これなら、その子根津(安江)監物氏が、父である法名楽翁心安居士にかかわって創建したということで、そのまま創建は、根津(安江)監物氏でよさそうに思う。
 もう一つが、位牌などの確認情報だ。どうも繁家氏の奥方が、先に寛永11年8月23日に亡くなられたようなのだ。従って、実際には、そのことにかかわって、繁家氏が創建にかかわったということはあり得るように思う。
 これは、出来事は決してモデルケースでは起きてくれないという典型だ。これを形式的にどう整理するかという事だ。大きな視野に立てば、これも実質的には安江繁家ご夫妻の菩提寺として、その子である根津(安江)監物氏が創建されたという事でよさそうに思うが、どうだろうか。
 先に整理した石栗氏に比べて、モデルケースとの違いが多い。石栗氏は、全て実子でこの関係が構成されているのに対して、嗣子とその実家がかかわって、話が構成されているのだ。そこに2家の系列ということが派生する。
 ここに、詳細に見て行くと月日の矛盾などが重なるようだ。これも形式的にモデルケースに整えたいという事であって、大きく問題になることではないと思う。
 弔われる方の活躍の関係性を配慮したり、長生きを美徳とする立場から、概数を切り上げたりということが行われるのは、自然なことだと思うのだ。
 どさくさにまぎれて、根津家と大笹生を去る事になった安江氏のかかわりの想像をいってしまっておく。
 この地を去ることになった安江家は、ここに残ることになった実家の根津家に、寺と位牌を守ってもらうようにお願いをしたのではないかと勝手に想像する。これも勝手な想像だが、恐らく、安江家としては、その時にここに残る屋敷も譲ってもいいという心持だったろうと思うのだ。
 これは、あくまでも想像で、実際には、そうだったかもしれないし、そうならなかったかもしれない。
 ただ、去る安江家の人々は、上泉氏の次女である監物氏の奥方とその子であるのは確かな事だ。
 三人の御位牌を合わせて連名になっているというmasa氏の情報は、この時に整理されたものと想像してはどうだろうか。
by shingen1948 | 2010-08-21 05:16 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)