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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安江繁家25

 根津氏と安江氏が結び付けるための、面子が整う正式な訳があるのだろうとは思う。それは、一つ一つ考察を加えた知識を積み重ねることで明らかになっていくものと思う。
 しかし、散歩をするだけの者にとっては、結び付くことに違和感がなければ、それはそれでいいと思える。
 それで、情緒的なイメージを整理してみたのだが、根津氏と安江氏の結びつくことが、本当に自然だと思えてくる。違和感が全くない。

 さて、地域情報の根津賢物氏と根津監物氏と安江監物氏との関係だが、最近の情報では、根津監物氏と安江監物氏は同じ方のように思える。今まで地域で語られていた根津賢物氏とのかかわりについては説明されてはいない。
 それに従って、この根津監物氏を自分なりに定義しておいた方がよさそうだ。masa氏の情報もお借りする。
 根津(安江)監物氏は、信夫衆根津八左エ門氏の三男喜兵衛正次氏で、安江家二男として入籍された。寛永16年11月28日に養父繁家が、再隠居したのに伴い、その秩200石福島郡代職を継いだ。位牌とのかかわりでは、寛文2年3月15日に亡くなられた方ということになる。法名は固山常賢居士、あるいは、固山常般居士。
 「大笹生100年史」では、「二男監物正家は父繁家の家督と共に同じく信夫代官となり、万治元年(1658)卒」とする。しかし、多くの情報から推定すると、「万治元年(1658)に職を辞して、寛文2年3月15日に亡くなられた」とするのが自然なように思う。

 なお、資料は忘れたが、安江監物氏の知行とかかわって、万治元年(1658)の佐場村559石9斗6升2合の村高は、安江監物氏の知行分353石4斗6升8合と安江主馬助納分107石8斗5升3合、それに御蔵納98石6斗4升1合からなっているという隣村の分限帳の情報を見た。
 この百姓は肝煎喜右衛門以下21名で、中に福島代官船橋名兵衛組の足軽1名と、入江村の百姓5名が入るとする。
(この情報についてmasa氏からコメントを頂き、「福島の町と村Ⅰ」の「佐場野村御蔵給人定納帳」の説明であることが分かった。)

 ここで「根津(安江)監物氏」と表記してみたが、どうだろうか。
 人は分かる事が分からない事より多くを占めないと、興味がわかないものだと思う。地域の方なら根津家を御存じなので、それで充分なのだろう。しかし、散歩人としては、安江氏がイメージされて、ようやく興味が持てる段階に入れるという状況だ。地道に研究されている方は嫌うだろうが、これなら検索にもかかりやすい。
 むしろ、地域の中にも安易な検索を楽しむことも、それはそれとして認めてもらうことがあってもよさそうにも思うが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2010-08-17 05:29 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)