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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安江繁家23

 散歩人のたわごと(私見)を続ける。
 近年、政権交代があったが、これは民主党が正しいというのではなく、民主党が正しくやってくれると思ったという情緒的なものだと思う。
 自然を動かすのは真理であるが、社会を動かすのは真理ではなくて、情緒的なものだと思うのだ。

 根津氏が、大笹生城主であったのは真か偽かということよりは、根津氏は大笹生城主という情報が古くから存在していたのではないかと思うのだが、……。
 それぞれには、それぞれの盛衰があって、その時点で必ずしも時の権力者に認められた存在とは限らない。しかし、そういった状況の中でも、情緒的にその地域で認められる家柄としての家系が存在しても、不思議なことではないと思うのだ。
 上杉の時代に、大きな給人でなければ、その権威が保てないということでもないのではないかと思うのだが、どうだろうか。

 確認していて、この地区の情緒的なイメージがもう一つある。それは、東禅寺とかかわる上杉家臣団は、信州の出というイメージだ。
 慶長年間に東禅寺中興とされる上杉家臣福島郡代奉行跡部外記は「信州より移って中興」とある。
 masa氏の情報によると、明治時代に廃寺になった大森の常栄寺は、芋川氏の開基だということで、その出身を確かめた。芋川氏の墓碑の脇の案内板に、その出身地にかかわって「北信濃(長野県)芋川郡を領していた国人武将武田氏に仕えた後、上杉氏に従う」という記述をみつけた。
 そして、先に整理した根津氏のイメージもそうだ。更に、安江氏も。

 このイメージと直接的なかかわりはないが、根津氏が大阪秀吉の家臣ということも大切なイメージのようだ。
 家臣安江氏の家伝の中に、「上泉主水の娘を養女として、それに『大阪秀吉の家臣根津喜兵衛正次』を取り合わせて家督を相続する」というような記載があるらしい。
 この誰の家臣になるかという重大な判断にかかわった大森城の歴史を受けて、芋川氏が大森城主になるという経緯があるようだ。
 芋川氏が、慶長3年(1598)白河城(小峰城)に入っているころ、大森城には、城代として藤田信吉氏が入り、ついで栗田国時氏が入っているという。この栗田国時氏は、慶長5年(1600)に上杉家が反徳川家康と見て、藤田信吉氏とともに大森城を脱出し、徳川家臣となることを試みるようだ。藤田信吉氏は、江戸に無事に逃げこんだが、栗田国時氏は、追いつかれ伏拝坂で討たれて、家族は皆殺しにされてしまったという。そういった経緯を受けて、慶長6年(1601)に芋川正親氏が、白河より大森城代として移ってきたということだ。(信夫地区史跡保存会の年表)
by shingen1948 | 2010-08-15 05:37 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)