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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安江繁家22

 科学の世界では、過程を大切にするという。
 しかし、素人の感覚では、理論の科学と実験の科学にかかわる評価に置いては結果主義に思う。理論の科学の中でユニークだともてはやされた仮説も、実験によってその理論が否定されれば、その仮説は無かったと同じということになるようだ。そこには、仮説を掲げた科学者が存在するわけで、実験で否定された段階で、その説を掲げた科学者は無視される。一生立ちあがることはできないということだ。本当かどうかは知らないが、そのプライドを維持しながら科学の世界で存在できるのは科学教育など、ごく一部という厳しい現実があるように聞く。
 しかし、地域の歴史は、その事によって構築されるイメージがあり、そのイメージが大切な要素として作用するという側面がある。また、散歩を楽しむという観点からは、結果主義を是としない。そのように語られるようになった背景を想像し、それを受けとめたい。その上でなら、否定することも認めたい。そういうことが大切なのだと思う。

 根津賢物氏が、大笹生舘にかかわる伝承を、そういう観点で見ておきたい。従って、ここからは散歩人のたわごと(私見)でしかない。
 「大笹生100年史」では、佐藤氏が盛んな時代ではあったが、このことと根津氏の関係性を明らかにする資料はないとした。
 しかし、この伝承は「「県文化財調査報告書」25集福島県の寺院跡・城舘跡」という権威ある資料に存在し、安易な説ではないとも思える。
 そこで気になるのが、「大江山城主」の情報だ。masa氏から寄せられ情報によると、「大井山城守根津賢物氏」と考える説も地域にはあったようだ。この説ならもっと自然で、もっと気になる。
 気になるのは、この説の真偽ではない。この地区にこう考えられている時期があったという事だ。
 ここからは散歩人の知識の枠を超えるが、多分こんなイメージなのではないかと思うのだ。
 「大井山城守」ということからは、「古い時代に奥州を支配した大井氏とかかわる根津氏」というイメージになるのではないのだろうか。そうすると、一般的に言われている根津氏の故郷の根源説と合致するという自然な説なのではないかと思うのだ。
 この地区に、根津氏にかかわるその説が存在したということではないかと思うのだ。
 これなら、佐藤氏の時代に大笹生城主根津の賢物氏が存在するというイメージは、可能なのではないかと思うのだが、どうだろうか。
 多分、「大笹生100年史」では、その説に敬意を払いながらも、それでも「佐藤氏が盛んな時代ではあったが、このことと根津氏の関係性を明らかにする資料はない」としたのだろうと思う。その論拠が、「根津賢物氏の没年が、近世初期らしいことが確認されているという状況がある」ということで、そうでない可能性が大きくなってきたという論の進め方なのだと読み取る。
 ただ、「ふくしまの歴史」の「文治年間(1185~90)は佐藤基治(元治)の支配下にある、根津監物という人が住んでいたという説もあります」という紹介は、単に権威ある書物にあるから無視しなかったという権威主義なのではないかとも思う。
by shingen1948 | 2010-08-14 05:30 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)