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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安江繁家⑪

 安江繁家を頭に置いて、安達地区の旧町村史を確認しても、そのほとんどの基礎資料は上杉文書との照らし合わせらしい。その中で、ご当地ならではの情報の拾い方だと感じたものを整理しておく。
 その一つが、12日ごとに若松への勤番制。具体的に、東塩松が6番で、西塩松7番であることや、二本松城の方は、西城関係も東城関係もその役割が無かったなどという風な拾いをする。読んでいて結構楽しい。こういった情報の収集は、当地域の上杉統治がたった3年間という短期間であり、その時代を明らかにしたいという思いが為せるオリジナルな観点だと思えた。そのための各街道の整備という新たな意識が呼び覚まされた。
 もう一つが、伝馬制の情報だ。景勝は若松に入部すると直ぐに、春日元忠に領内伝馬制を設けるようにさせたという。慶長3年(1598)蒲生重臣の米沢城代を上杉伝馬制で那須に送り届けたということも紹介する。
 今まで、宿場を訪ね歩いても、その時間経緯による変遷を意図していなかった。それが、二本柳宿が、伝統的にあった宿場に新たに加わり、本宮宿が変化するということが、杉田宿、日和田宿開設等々の変化となっているらしい。大部分の変化は、ご当地の蒲生時代になるわけだが、そのスタートは上杉氏とのかかわりだったということだ。
 本宮宿についても、二本柳宿から始まった安達のこの街道の変遷の資料も充実しているようだ。散歩人にとっては、このことが上杉氏の仕事として意識できる情報だったという点で、オリジナルな情報だった。

 信達の松川合戦の時代、安江氏・石栗氏は仙道だが、このことは福島の情報の中で確認したい。
by shingen1948 | 2010-08-02 05:52 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)