地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安江繁家⑨

 安江繁家が金奉行ということで、この時代の鉱山関係の記述を探ってみた。多分、この辺りの地元史で最初に探るのは「松藩捜古」などだろうが、単なる散歩人にはそれでも重い。とりあえず近間の旧村史で探る。
 そこには、会津麻桧原金山(天正年中)、河沼狸森蔵金山・黒沢銀山(前蒲生時代)、信夫郡関谷(蒲生時代)、小池金山<松川>・大笹生金山・伊達半田銀山(上杉時代)とあった。
 各地の記述を拾ったものらしい。というのは時代の表記だ。前蒲生時代との表記は、会津領では、前期の蒲生時代があり、上杉時代を挟んで後期の蒲生時代になる。伊達信夫の場合、会津領の前期蒲生時代が蒲生時代で、会津領の上杉時代と後期蒲生時代が上杉時代となる。信夫伊達の鉱山については伊達信夫の概念で記述されているような気がするのだ。これを会津領の地域感覚に直すと、信夫郡関谷(前蒲生時代)小池金山<松川>・大笹生金山・伊達半田銀山(上杉時代から後期蒲生時代)ということになるのだろうか。高玉金山はそれ以前からということで、記述がないのだろうか。
 ちょっと面白いのが、松府来歴金華鈔(抄)東安達郡四本松石橋家滅亡之事並ニ金山道場之事。
 石橋氏が、上太田村の住吉山四本松に居住したというものだが、その中に、川西が称念寺道場で、川東は金山道場と名付けているのは、往古黄金が出たが、後に出水で金を掘ることが不能になった処とある。
 また、資料等に載ることはないが、大玉村には、又兵衛地内に通称「かなめど」というところがあって、金の採掘跡とされる「金穴」があるようだ。ここは、一度散歩を試みたが、たどりつかなかったところでもある。

 金奉行とのかかわりを、地域の散歩に結びつけて探ろうとするのは、なかなか難しそうなことが分かる。
Commented by MASA at 2010-07-31 07:41 x
信達一統志の町飯坂邨のところで「慶長18年上杉家の臣安井五郎左衛門繁家森善右衛門兼直両人検地す」との記載を見つけました。安井は安江の間違いでしょうから、川俣町など伊達郡の町史などを見てみようと思います。
Commented by shingen1948 at 2010-08-01 10:27
 よくみつけましたね。
 慶長18年だと、嫡子繁国に家督を相続して最初に隠居する少し前ですよね。

 各地域の史誌を読んでみると、確かに精査する必要がありさうなこともありますが、その分、熱い思いのようなものを感じますよね。何かみつけたら、また教えてください。

 ところで、ご紹介いただいた大笹生安江君碑が見つからないで、二三日ふらついています。分かりやすい目印あったら教えてください。
 今、気になっているのが地元の方がいう根津屋敷って、どこかなということです。こちらは、まだちょっと自分で探ってみます。
Commented by MASA at 2010-08-03 00:24 x
「心の文化財(福島盆地を歩く会)」でいう安江君碑は、大笹生字舘ノ下地内にあります。31日に大笹生に行った時は一面草に覆われており、全然見えない状況でした。昨年9月に初めて確認した時も殆どが草に覆われており、碑全体をみたのは草刈後の今年の1月末でした。
この安江君碑の写真は、「福島の町と村Ⅰ」P295に「大笹生館にある古碑」として掲載され、P299の「根津監物の墓」と似ているなと思ってる次第です。
市の散歩資料での「頭痛を直すおまじないの言い伝え」の紹介とは「信夫山ガイドブック」の「頭の良くなる石碑」のことでしょうか。
Commented at 2010-08-03 00:56 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by MASA at 2010-08-08 12:52 x
根津屋敷について大笹生の方に伺ったところ、根津城とも言われいた大笹生城(大笹生字舘、舘ノ腰地内)のことをいうのではないかとのことでした。
Commented by shingen1948 at 2010-08-09 05:17
 情報ありがとうございます。
 地域を全く知らない感覚で、何も考えずにひたすら散歩を繰り返すと、安楽寺の道路を挟んだ南側の集会所裏あたりの地形が醸し出す雰囲気が気になってきます。
by shingen1948 | 2010-07-31 06:50 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(6)