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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安江繁家③

 この碑について、信達一統志に記載されるという事で、図書館で確かめる。
 「安江君の碑」として、その碑文は紹介される。
 ただ、その碑文には不明な箇所が多いということで、途切れ途切れに解るところを拾っているらしい。そして、次のように結んでいる。
 「右の碑は羽黒茂宮戌亥の方にあり、安江氏は定めて上杉氏の臣なるべし。寛永中上杉定勝信達を封邑せしなり。其時の代官なるべし。此の碑の文章文字缺けて定かならず。人々缺文を咎むること勿れ」
 現況は、もっと読み取りにくくなっていると思われる。その時には読めたものも、今では読めなくなっているのではないのかなとも思う。
 その文の構成のおおよそは、次のようであるらしい。
 まず、安江繁家の紹介と治績があって、次に、その人徳にかかわることやその供養にかかわる記述があって、最後に、日付けと願主が記載されているという。
 その安江繁家の紹介と治績の部分が、
 「藤原の朝臣安江繁家公は、越しの後州之英産なり、年の先大守の国替えに依り移りて陸奥の村に居り而して伊達信夫の両郡代を司る。政行依倚……」というふうに読めて、おおよそ「越後国生まれの人で、来て信達ニ郡の郡代となり、治績大いに擧った」というような内容らしい。
 そして、日付けと願主の部分が、
 「主?時寛永元甲子沖夏二十八日願主安江五郎左衛門尉○○(花押)」という感じらしい。

 散歩人としては、こういった紹介された資料のアウトラインの解説で概観できる事を元に、拾い読みしたという原文と見比べて、この辺りがそれかと、感覚的に一致しているようなものを見つけては、納得している軽さだ。
 それでも、久しぶりの座学だったが、ここで得たのは「福島郷氏史に洩れたこの方を知りたいと思う気持ち」だ。ちょっとずうずうしいとも思う。
by shingen1948 | 2010-07-25 05:24 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)