地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂古道―大笹生~平野

a0087378_435536.jpg
 大笹生から庭坂までの信夫の里の西側を走る街道、飯坂古道を確認して来た。
 今度は、その古道の飯坂よりの確認をしようとして、その古道とかかわるこの道標で少し楽しませてもらったことを思い出した。

 この道標の後ろに、案内板が建っていて、そのいわれが説明されていた。
 おおよそ次のような説明だ。ちょっと消えかかっている部分は推測している。

 この石は道標
 この石は会津街道(今の大森線)と瀬上街道(今の曲屋からわかれる道)の分かれに、道しるべとして置かれたものです。
 石には「右せの上左飯坂」と刻まれています。
 石のわきには、石地蔵が置かれ旅の安全を願っていました。
 昭和49年4月1日
 平野小学校

 
 その案内板の裏には、次のような詳しい説明がある。これも消えかかったところは推測して読んでいる。できるだけ原文に近いように気をつけたつもりだ。

a0087378_4364586.jpg 江戸時代に会津と仙台を結ぶ会津街道は、井の目部落から瀬の上に通じる街道から分かれていた。 その分岐点(平野村大字伊佐野字道南一番地)に、この石の道標がたってあった。
 戊辰の戦いで官軍に追われた会津藩の人々は、この会津街道に逃れて、仙台に行ったという。この時、この地の女や子供は逃げ延びる人々の荷物を背負って手助けしたという。
 その後この石は、昭和27.8年に瀬上街道の改良工事が行われたとき取り壊された。二つに割って捨てられていたのを紺野猷信宅で大切に保存していたものである。

a0087378_4385911.jpg
 その位置について、案内板には図もつけられていた。こんな消えかかった図だが、学校の位置、そして、瀬上街道、会津街道ということから、そのおおよそ見当がつく。その会津街道が、今回歩いている飯坂古道と重なっている。
Commented by 東風吹かば at 2010-07-28 00:31 x
こんばんわ

この石と案内板は平野小学校にあるんですか?
Commented by shingen1948 at 2010-08-01 09:53
 御察しの通りですが、最近、学校の不審者対応で神経をとがらせているようなので、場所の提示は迷ったところです。今は案内板はないようです。
Commented by 東風吹かば at 2010-08-03 02:05 x
残念で悲しい時代ですね。

せめて看板だけでも確保しておいて欲しいもんです。
実は、卒業生です、私。
全く当時は気がつきませんでした。
Commented by shingen1948 at 2010-08-03 09:50
 卒業生なら大丈夫かもしれませんね。校門入って左手で、塀近くまで進むとあります。めったに行かない空間だったと思います。
by shingen1948 | 2010-07-16 05:03 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(4)