地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂古道⑧~米沢街道との接点付近⑤

 庭坂宿については、旧道の大森道と福島道を探りながら何度も来ているが、庭坂宿の西側を意図していなかったような気がする。

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 福島道や大森道から来れば、追分道標から新町に入り、青柳寺を過ぎて内町となる。
 そして、この問屋跡になるのだが、ここに案内柱が建っている。ここが、宿の中心地なのだろうか。庭坂村の旧役所跡であることと、米沢街道庭坂宿本陣・問屋跡であることが案内される。

 柵の後ろは、奥羽本線だ。平成4年(1992)の7月1日に、山形新幹線が走るようになったが、元々は明治32年開通の在来線だ。それで、時々ミスマッチの面白い風景に出会うのだ。
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 庭坂村道路元標もここに建つ。
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 日露戦勝記念を刻む石柱もある。









 米沢側とのつながりを意識して、西に進む。


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 道は、すぐに右に折れて、踏切を越して北に続く。ここが荒町。
 庭坂宿は、米沢ルートの宿駅として慶長6年(1601)より建設を開始し、正保年には足軽屋敷128軒で、福島城下の1/2との半沢氏のメモ。


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 この荒町の北はずれの角を左折すると、そこが横町になる。
 飯坂古道の入り口があるのは、その横町だ。少し進んだ右手になる。米沢街道はそのまま西に向かう。


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 散策を線路で分断されることによって、気になり出したのが清水寺。歩道橋を渡った西側の方向だが、次の機会にする。創建が元和5年(1619年)とのこと。
 実は、先に「宝積寺」と「長楽寺」とが隣り合っている事が気になって、宝積寺の沿革史で次の情報を得たのだが、その時に、庭坂の清水寺の創建も同じころという情報があって、ちょっとだけ気にはしていた。
 
能山和尚が帰山できなくなった宝積寺が、10数年無住になった後、慶長8年(1603)に繁長が没して、この寺は直江兼続の菩提寺春日山林泉寺の末寺に加えられて継続した。

 林泉寺の末寺らしいし、年代も合いそうな気がする。

 もう一つの興味は、二本松落城時の二本松藩主の逃亡とかかわるのかなという不確かな情報。
 夜中に城下を抜けた藩主家族が、米沢に逃げ延びる途中、水原―大森を経て、庭坂の清水寺に一泊するらしいが、こちらの寺だろうかということ。
 ※ 昨日の記事に、清水観音で、その雰囲気を味わうのに、半沢氏メモにある「土公神碑」を見逃したことを記しておく。(7/15) 
by shingen1948 | 2010-07-15 05:06 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)