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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大笹生⑤~上之寺

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 「飯坂道の今昔(二)(佐藤静雄著)」にある地図と道筋の解説を元にして実際に歩いてみる。歩いてみると、佐藤氏は飯坂古道をこのよう推定したのだなというのが分かる。
 そうしないと分からないというのは、感覚的に鈍いのかもしれない。


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 これは、上之町から上之寺への角の道筋を南側から撮っているが、この道筋が上之寺の道筋であり、飯坂古道の道筋でもあるということだ。


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 稲荷神社の北側にも上之寺へ続く道はありそうだ。ただ、こちらは民家を通過して東禅寺の寺地に入るようになってしまう。

 この稲荷神社には、たくさんの石塔があって、丁寧に確認したいと思うが、まだ、大まかな道筋が分かっていないので、そちらを優先してしまっている。


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 さて、上之寺の東禅寺だが、「信達ニ郡村誌」では、正徳3年の火災で縁起を失い、開創年紀不明とする。その衰退した寺を、後に中興されたものだと記している。
 半沢氏は、この寺を瀬上氏開基と記し、大笹城跡には伊達一家瀬上氏が居城した後、岩沼城主となるとのメモを記す。
 「心の文化財~ふるさと福島を歩く(ふくしま盆地を歩く会)」では、東禅寺は、明応7年(1498)伊達家家臣瀬上康秀が、亡父の菩提寺として開祖と伝えるとしている。
 そして、この山門については、文久2年(1862)建立と、年代まで特定する。

 これらのことと、「ふくしまの歴史」に次のような記載することとの関わりと推測する。
 
「瀬上家普」では、城主の瀬上氏が大笹生塁(館)に移ったのは8代瀬上康秀のときとされるが、それがこの大笹生城だったかどうかは不明です。

 なお、「信達ニ郡村誌」では、ここに共立学校が置かれ、本堂を仮教場としたと記す。生徒数は111人、女は、5名とか。ここが大笹生小学校の旧地ということのようだ。

 ※ 昨日は、「信達ニ郡村誌」に上之町の街道沿いの人家の並びについて記述していることを整理したところだが、ここに、現時点での直線道路の街並みの写真を張り付けたかったので、修正する。(6/23撮影、6/26修正)
by shingen1948 | 2010-06-26 05:25 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)