地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大笹生③安楽寺と宿縁寺観音あたり

 「信夫の里札所めぐり(梅宮茂著)信楽社」で、「信達三十三観音 10番札所 宿縁寺観音」を確かめる。
 大笹生の寺の案内に、上の寺、中の寺、下の寺として説明されるが、これが、この辺りをイメージするのにいい。
 上の寺として東禅寺、中の寺として大福寺、そして、下の寺としてこの安楽寺が案内される。
 宿縁寺観音は、その安楽寺の北側の山道を進むのだが、その奥山が俎板山とか、観音の左手には、元鐘楼があったとか、堂前を流れる清水は、御手洗い水という霊水だ等々興味深く紹介される。
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 根津監物氏については、この安楽寺の寺伝の解説で紹介される。
 天長7年(830)山階寺の僧が、如意輪観世音菩薩を本尊として開いた菩提寺の後、後文治3年(1187)に義経が佐藤庄司の舘で霊夢をみて、菩提寺宿縁寺として再興したと伝えるらしい。
 その後、慶長2年(1598) 上杉領の時代に、家臣根津八左衛門監物、大笹生金山奉行として舘し、東禅寺4世善応雲積をして中興、岩松山安楽寺と改称したと紹介される。
 ここに、根津監物氏が登場する。
 「心の文化財~ふるさと福島を歩く(ふくしま盆地を歩く会)」では、安楽寺創建は、慶長6年(1601)で、古くは宿縁寺とする。
 根津氏については、上杉景勝家臣約200石の代官で、慶長6年(1601)安楽寺創建を主君に発願して建立と紹介する。
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 実際の経緯は分からないが、現在安楽寺観音堂とされるあたりを中心に古寺とその南西に古い墓地が広がっていたイメージがあり、感覚的には、これが解説される宿縁寺なる古寺のイメージと一致する。
 大笹生城の城主については、文治年間(1185-90)に佐藤基治の支配下にある根津監物が城主とする説の存在は先に知っていたが、そのバリエーションがあるということのようだ。この方が上杉氏家臣だったり、安楽寺創建と関わったりするということのようだ。
 大笹生城跡はこの南側で、先に以下のように整理している。
 ○ 大笹生城跡へ向かう道
 ○ 大笹生城跡②
 ○ 大笹生城跡③
 ○ 大笹生城跡④
 なお、宿縁寺観音の本尊は、如意輪観世音菩薩とのことだが、この御本尊の如意輪観世音菩薩は、普段は安楽寺に祀られているとのことだ。他に、32体の観音が祀られ、この御本尊を合わせると三十三観音となり、巡礼堂とした形跡があるということも興味深い。
by shingen1948 | 2010-06-23 05:15 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)