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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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9代伊達政宗の東光寺

 今回の阿津賀志山防塁の後では、「念西夫人のための光明寺」と「住吉舘跡」に立ち寄った。住吉舘跡は、大枝城の大枝氏の根小屋、もしくは隠居館として居館という関連で整理したところだが、そのことと関わって、「9代伊達政宗の東光寺」を整理しておきたい。
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 保原町柱田の東光寺に立ち寄ったのは、昨年末の保原から梁川にかけての散歩の途中だった。


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 ここには、彼の寺号「儀山東光寺殿」と書かれた位牌もあるという。ただ、伊達家の紋は丸に竪三つ引き両であるが、供養石塔にある家紋は丸に横三つ引き両になっているという疑問はあるらしい。
 彼の墓は宮城県七ヶ宿町の東光寺にもあり、山形県東置賜郡高畠町には、夫妻の供養塔が建っているという。

 今回の散歩とのかかわりでは、大枝城・住吉舘跡の大條氏が、この9代伊達政宗の弟孫三郎宗行が分家した方ということだ。

 この9代伊達政宗は、伊達家中興の祖ともいわれる。文武の才に恵まれ、彼の妻も室町幕府3代将軍足利義満の叔母にあたるということで、中央との繋がりが強かったという。
 応永9年(1402)に、政宗は領地の割譲を求めてきた関東公方に対して、長倉館(伊達市館ノ内)や桑折赤館で反抗したが及ばず、会津方面へ逃れたという。ちなみに、政宗の代には本領である伊達郡のほか、伊具郡、刈田郡、柴田郡(宮城県)、長井郡(山形県)などへ領地を広げたという。
 
 伊達氏が、勢力を盛り返し、羽振りのよさで有名なのが、1 1代伊達松犬丸(持宗)とその子12代成宗で、主として梁川城に居住したという。
 彼らは幕府や公家たちに莫大な貢物をしている。特に文明1 5年(1 4 8 3)の成宗の上洛は有名で、都の人々を驚かせたという。大量の砂金、百頭近くの馬、名取川の埋もれ木灰、信夫文字摺絹などが献上品であったとか。特に、埋もれ木灰は、公家たちの世界で流行っていた香の香炉の灰として貴重な代物であったという。阿武隈川の埋もれ木も有名だが、名取川のものが特に有名だったとか。太刀や香など、将軍からの返礼も度々であったとかという華々しい話。

 室町幕府と関東公方の対立に伊達氏が巻き込まれたという応永2 0年(1 4 1 3)の持宗が、関東公方に反抗し信夫山の懸田定勝とともに福島城にたてこもった話ともつながる。

 なお、「伊達市ホームページ」によれば、伊達氏と上杉氏の攻防では、慶長5年(1 6 0 0)、いわゆる17代伊達政宗は一時この大枝城に陣を置き、梁川城攻略にかかったらしい。その根小屋、大條氏ゆかりの城郭寺院があるということが、住吉舘跡とのつながりだ。
 大條氏が、天正年間にここを去るのは、7代宗直のときとのことだ。
by shingen1948 | 2010-06-17 05:13 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)