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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿津賀志山三十三観音八十八大師画像碑群

 国見では、阿津賀志山防塁を中心に散歩し、そこから思いつくままにあちこちさまよっているが、整理をしないでそのままになっているものがある。
 初代伊達氏念西の夫人の光明寺地区を訪ねた時に出会った案内板に、画像碑群がプロットされているのを見た。この阿津賀志山三十三観音八十八大師画像碑群も、その中の一つだ。
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 この「画像碑群」と出会ったのは、とりあえず阿津賀志山防塁の概要を捉えたいということで、阿津賀志山山頂へ登った時だ。
 意識は、阿津賀志山防塁にしかなく、しかも、そこで阿津賀志山防塁の実感は得られていなかった。今にして思えば、阿津賀志山防塁の大体が分かる者にとっては、この山頂からその概要は見えるのだが、知らないものにとってはよく見えないということだ。その途中に出会っているので、これを整理しようという気持ちのゆとりが無かったように思う。
 その時の「忘れもの」として整理しておく。
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 山道に入って直ぐのカーブのところに、画像碑が見え始める。これが、八十八太師・三十三観音の一部らしい。


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 助成してもらった信者への報恩として、一石一体の画像を石に刻んでいくという事らしい。
 念を通すという行為として石に画像を刻むという心の込め方や、報恩という「ありがたい」ものとしての画像碑を知ったのは、この時だ。あちこちで、同じように画像が刻まれた石を見るが、そこにその想いを感じることができるようになったきっかけを得たものだ。


 国見町指定史跡
 阿津賀志山(三十三観音88大師)画像碑群
 昭和44年6月30日指定
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 嘉永6年(1853)の頃行者佛源(梁川町2ノ袋百姓源右衛門)が、四国88ケ所、秩父坂東百番観音を回国巡礼し、お受けした弘法大師像、33観音画像を奉安するため、国見山経が岡の中腹に大師堂を建立した。
 この資金集めのため信達両郡の村々をめぐり多くの信徒に助成奉加をよびかけ、一人一分の積立の法をとり、報恩として一石一体の画像を石に刻み、草案一帯に樹塔したもので、関係書類は別に保存されている。
 注意
 一 画像碑を汚さないこと
 一 一木一草を大事にすること
 平成元年10月29日
 国見町教育委員会

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 「ふくしま散歩」に、「復元と保存」という項を起して説明される中に、観音を刻んだ石碑というものが紹介されている。それは、阿津賀志山下を走る東北自動車道建設のため、頂上にある展望台付近に移転保存されたとするが、それもこの画像群と関連するものなのだろうか。
「復元と保存」については、次のように解説される。
a0087378_4503426.jpg 文化遺産の保存には、復元ということが唯一の手段である。これは単に昔を懐かしむという以外に、祖先が残してきたかけがいのない遺産を保存し、現代生活とのつながりを確かめるために大切なことである。

by shingen1948 | 2010-06-15 05:02 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)