地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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念西夫人の光明寺地区を訪ねる

 阿津賀志山防塁現地説明会の帰りに、念西夫人の光明寺地区に立ち寄った。
 無理して阿津賀志山防塁とのかかわらせれば、頼朝軍側で、石那坂の戦いで勝利に貢献した初代伊達氏の夫人の墓に立ち寄ったという言い方だろうか。カテゴリーとしては、伊達政宗の旧地とのかかわりで、伊達五山の一つを訪ねるということだ。

 伊達五山は、満勝寺跡、光明寺、観音寺、光福寺、東昌寺といういずれも臨済宗の寺院だ。
 これは、伊達氏第4代の政依が、自身や先代のために建立した寺だ(祖父とその夫人の寺は建立しなかった)。自身のために東昌寺を、曽祖父念西(伊達氏初代)のために満勝寺を、念西夫人のために光明寺を、父義広のために観音寺を、義広夫人のために光福寺を建立している。

 その中の「念西夫人のための光明寺」が、この阿津賀志山防塁の北側にある。ただし、今は光明寺それ自体はなく、地区名としてその寺名をとどめている。
 念西夫人の墓は、その光明寺地区にある福聚寺の境内にあるということだ。福聚寺は、もと光明寺の塔中の一つで、念西夫人の墓を守るために残ったとのことだ。
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 説明会前に、立ち寄り先の見当をつけようとしたが、案内板を見逃していた。
 この辺りのはずだと見当をつけた辺りに戻ってみると、近所の公園用の駐車場らしきものがあったので、そこに車をとめた。
 案内板を見ると、そこに福聚寺も案内されていた。


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 本来の光明寺は、福聚寺のある沢一帯の広い地域であったようだが、この一帯が公園として整備されているようなので、ついでに散歩する。
 この湧水の風景は、昭和61年「ふくしまの水30選」に認定されて、平成5年に町の天然記念物に指定されたとのことだ。


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 案内板には、この湧水の風景を見ながら降りたところにある三条院の仏像を解説する。南北朝時代の作で、町の有形文化財とか。
 案内では、福聚寺についても仏像について解説するが、それよりもこの光明寺地区に豊かな実りを約束する豊かな水と、地区民がその恵みに感謝しただろう信仰の森らしい雰囲気が漂っているという事に感じいる。


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 三条院を過ぎて、しばらく村の中を進むとその村はずれに福聚寺の丘にたどりつく。
 鎌倉時代の中期、伊達政依が、曾祖母で伊達朝宗の夫人で結城氏の菩提を弔うために建立した光明寺の塔中の一つ。ここに、伊達朝宗の夫人の墓がある。
 なお、この村を過ぎる途中の左手に光明寺跡があったようなのだが、それは見逃したようだ。


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 伊達氏の始祖中村常陸介念西入道朝宗の夫人、結城氏の墓で、五輪塔に光明寺殿了修願善禅尼大姉と刻されているという。


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 現在の塔は文政4年(1821)に仙台藩によって再建されたもので、旧塔も墓地内に保存されているという。こちらだろうか。右手の現在の五輪塔に刻まれた「光明寺殿了修願善禅尼大姉」が写りこんでいる。位牌は福聚寺に安置とか。


 掃除をされていた地区の方が、お知り合いの方の墓参ですかと声をかけてくださったが、ちょっと応えに窮した。
by shingen1948 | 2010-06-12 05:49 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)