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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿津賀志山防塁現地説明会③

a0087378_5112680.jpg 3Tでは、より詳しく土塁構築の観るために、積み土の一部を崩して、東側2m付近まで、15~20㎝の深さまで掘り下げて、地山面を堀り出したとのことだ。報告書に、次のようなことが説明されている。
 地山の傾斜が8°だったようで、そこから西に向かい1.2mの範囲では傾斜が急なところで20°だが、土塁の裾とされた地点から30㎝入った地点からは、また8°なり、その斜面の角度は150m先の川沿いの平坦地まで続いているという。
 そのことを、説明資料では、次のような図でも表現されている。
a0087378_514641.jpg
 客観的に考察すればそういう事のようだが、実際に歩いてみると、この勾配はかなりきつい。今回の説明会のために準備された駐車場は、給食センターだが、そこから歩いてここに登って来たのだがかなりきつい勾配であることが分かる。


a0087378_5195836.jpg
 ここは、山道を登ってきて、ちょつと横に移動して、また現地説明会場に向かう道だ。説明図の中では、町道西根堰と見えているところだ。違う時代の興味である西根堰が走るラインに沿った道筋だ。散歩としては、この辺りを散策するとき、ここで一息ついてまた歩きはじめるのにいいところだ。


 この実感と説明会での勾配の解説をあわせみると、この自然のきつい勾配を利用して防御線を考え、その防衛機能を更に強化したのが、この地区の阿津賀志山防塁の一側面という事が納得できる。
 長々ときつい勾配が続いた後に、この土塁にたどり着くということなのだから、防塁としてはかなり機能的であったということのようだ。
by shingen1948 | 2010-06-10 05:22 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)