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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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峨嶁山ハイキング④

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 峨嶁山で景色を楽しんで、もと来た道を戻る。
 登るときは道が不案内なことが気になって、周りをよく見ていないところがあった。「強清水」も、戻るときに気がついた。


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 少しゆとりが出て、分岐点から薬師如来堂へ出てみようと思う。
 その北側の山が源氏山と思われる。普段見ている地図にはこの名称はない。二郡村誌でいう岡本古舘(高松城)は、この山を指しているように思えて確かめたいと思ったこともある。下りきったところは、草が伸びていたが、そこをかき分けて進むと、薬師如来堂の東側に出た。


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 右手に登りの道がある。ここを少し登ると、何かを植林中の平場に出る。


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 その北側が山頂らしいので、そちらに向かうが、道らしきものは消えて藪になる。
 山頂と思われるところは林になっている。
 二郡村誌では、「高松山の麓、西部舘の山に登ると3町許にあって、東西53間、南北48間」と紹介する。しかし、目の前の景色は、期待していたような平場ではない。一段下がって、ぐるりと回ってみるが円墳のような形状でしかない。
 二郡村誌では、「天正年中、岡本本吉太夫なる者居る所と言い伝う。信達一統志に伊達氏の臣なりと(一説に北畠の臣なりと)。側に古墳と称する所あり。文政年間村人これを開拓して、甲冑を得たりという。(刀三振りとも)」と紹介が続く。
 これは、「福島市資料業書」によっているが、以下の注釈が入っている。
 ※ 正中2年(1325)4月、高松近江守源定隆居住。高松氏は建武2年(1335)4月掛田茶臼山城に移り懸田氏を名乗る(懸田史)。岡本本吉太夫については不明。

 懸田氏つながりなら、茶臼山城だけでなく、信夫山観音堂の散歩もつながるし、大笹生城もかな。
 「ふくしまの歴史」では、この岡本本吉太夫について、「伊達家の家来で天正年間(1573~91)に居城していた」と二郡村誌の内容をそのまま紹介している。


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 観音堂の直ぐ裏手に浄水施設があり、


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 そして、この西側から東根堰が潜り込むのだが、そのトンネルに、「岡本舘」の文字が見える。
 やはり、ここが「岡本舘」だろうと勝手に思う。
by shingen1948 | 2010-06-06 05:38 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)