福島の建築34
2010年 05月 29日
この写真、福大学芸学部の校舎ともにているが、福大なら前に池があるはず。図説「福島市史」の近代教育の項と照らし合わせてみると、昭和42年ごろは福島医大だった旧福島師範の建物だと思う。

解説には、「明治21年9月竣工の本校舎は翌22年のパリ万国博覧会に写真が出品され、当時東北一の近代校舎とうたわれた。大正11年以降は女子師範学校校舎となり、戦後は県立医科大学校舎として使用された」とある。
昭和53年発行の同書に、現校舎の新築に伴い取り壊されたとある。
パリ万国博覧会に出品されたと自慢げだが、これはポーズだけのはず。取り壊す時に、保存の検討がなされたという話は聞いていない。あっさりと簡単に取り壊したはず。
写り込んでいる車の形も懐かしい。
ここには、医大祭に一度だけ行った記憶がある。近くにあった福島大学女子寮「葵寮」があったはず。また、このあたりは官役所が配置されていたはずだなと、明治40年の配置図を確認する。

その向かいの五が小学校となっているが、これは現福島一小だろう。その脇の六が、税務署となっている。十が、師範学校女子部寄宿舎とある。写真の当時は、福島大学女子寮「葵寮」ということで間違いなさそう。
今はもったいない建物だったなと思っていますが、その当時は、自分も古くさい建物だと思っていました。
自分の感覚だと思っているのですが、本当は時代に流されていたんだなと思わされます。