人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

福島の建築34

 見つけた写真と資料を照らし合わせて、おおよそ見当がついた建物を整理する。

 この写真、福大学芸学部の校舎ともにているが、福大なら前に池があるはず。図説「福島市史」の近代教育の項と照らし合わせてみると、昭和42年ごろは福島医大だった旧福島師範の建物だと思う。
a0087378_4595036.jpg
 解説には、「明治21年9月竣工の本校舎は翌22年のパリ万国博覧会に写真が出品され、当時東北一の近代校舎とうたわれた。大正11年以降は女子師範学校校舎となり、戦後は県立医科大学校舎として使用された」とある。
 昭和53年発行の同書に、現校舎の新築に伴い取り壊されたとある。

 パリ万国博覧会に出品されたと自慢げだが、これはポーズだけのはず。取り壊す時に、保存の検討がなされたという話は聞いていない。あっさりと簡単に取り壊したはず。
 写り込んでいる車の形も懐かしい。
 ここには、医大祭に一度だけ行った記憶がある。近くにあった福島大学女子寮「葵寮」があったはず。また、このあたりは官役所が配置されていたはずだなと、明治40年の配置図を確認する。

a0087378_51634.jpg 一が県庁で、八が板倉神社、七が議事堂とのことなので、位置関係からも、師範学校とされる九が現在東分庁舎であり、旧医大であることが確認できる。
 その向かいの五が小学校となっているが、これは現福島一小だろう。その脇の六が、税務署となっている。十が、師範学校女子部寄宿舎とある。写真の当時は、福島大学女子寮「葵寮」ということで間違いなさそう。
Commented by としぼー at 2010-05-29 07:56 x
葵寮のことが書いてありましたが、ここで間違い無いです。ガソリンスタンドの南側にありました。現在では交流センターのようになっているようです。昭和39年から45年まで朝夕新聞配達で通りましたので間違いありません。今では川岸にあった交番も懐かしいです。
Commented by shingen1948 at 2010-05-31 18:45
 情報ありがとうございます。
 今はもったいない建物だったなと思っていますが、その当時は、自分も古くさい建物だと思っていました。

 自分の感覚だと思っているのですが、本当は時代に流されていたんだなと思わされます。
by shingen1948 | 2010-05-29 05:05 | ◎ 福島の建築 | Comments(2)