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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫三山~岩谷観音

「福島煉瓦業の碑」の情報を頂いて、早速でかけたことについて整理しようとしたところで、中断した。基板交換の修理が済んで、パソコンが戻ってきたので、ここに戻る。
そのつなぎとして、この「福島煉瓦業の碑」がある岩谷観音について整理する。
 
 「信夫山めぐり」によると、岩谷口登拝路は、昨日整理した瀧洞神社から、山神石を拝して、この岩谷観音からの道と合わさって羽黒山を目指すという。これらは、五十辺村の人々とのかかわりが強いようだが、この岩谷観音も五十辺村とかかわるようだ。
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 この岩谷観音、現在は聖観音が観音堂に祀られているそうだが、元々は、巌窟の観音だったと聞く。
 平安末から鎌倉期にかけて五十辺の館にいたという豪族五賀良目氏(伊賀良目氏)が、持仏の聖観音を巌窟に祀ったとのことだ。
 よく分からないが、観音堂の建物前のこの岩窟が、それだろうか。
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 その聖観音が移されたという現在の観音堂の建物は、慶長19年(1614)に再建されたものという。


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 目を見張るのは、その巌窟の周りの摩岩仏群だ。これらは有名で、観光案内にもよく登場する。


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 この信達一円に及んでいるという摩岩仏群の信仰はの始まりは、宝永6~7年(1709~10)前後とのことと聞く。


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 三十三観音巡礼という貴族たちの風が、地方の民衆にまで普及し、三十三観音を刻み込めて、この摩岩仏群が形成されたとのことだ。


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 ただ、ここでは、この三十三観音の諸仏のほかに、地蔵、不動明王、弁才天などの諸供養仏60体が、おおよそ3段に群をなして並ぶという。


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 今回、一体一体を丁寧に拝ませて頂いているが、知識が乏しいので、どの仏なのかはよく分かっていない。それでも、名もない仏の一体一体が、念を込め丁寧に彫られていることを実感したことで、その総体としての力のようなものの感じが強まっていく。

 
 市指定史跡及び名勝「岩谷観音」
 観音堂
 平安時代の末に、飯坂の大鳥城に居城を構えて信夫一帯を支配した佐藤庄司基治は有名ですが、その叔父と伝える伊賀良目七郎高重は、ここ五十辺に居を構えていました。この子孫である春顕が応永23年(1416)10月に先祖伝来の観音像を本尊として建立したのが観音堂の始まりであると伝えられています。
 磨崖仏群
 西国三十三観音本尊像をはじめ、60体に及ぶ供養仏がありますが、宝永2年(1705)の聖観音像・同7年の巳待供養弁財像が年紀のわかるものとしては古いものです。三十三観音像もおおかたこのころから彫られたと思われますが、西国の札所名と本尊のお姿が正確で仏像の儀軌に通じた修行僧が敬虔な鑿(けいけんなのみ)をふるったものと思われます。

 岩谷観音保勝会・福島市教育委員会

 ここに、自分ではみつけることができなかった「福島八景の碑」の裏に刻まれた「福島煉瓦業の碑」がある。
by shingen1948 | 2010-05-23 05:30 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)