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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫三山~瀧洞神社

 中途だった散歩の整理を、岩谷口にある瀧洞神社あたりから再開していく。
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 この神社は、元々は不動堂だったのを、明治3年に瀧洞神社に改めたという経緯を有する。このことは、散歩人にとっては単なる変更でしかない。
 しかし、五十辺村の方々にとっては、生活の祈りとのかかわりがあったはずだ。

 この事は、時の権力者によって、五十村の方々に、不動信仰から彌都波能賈神信仰に変更させられたことを意味しているのだ。

 明治の時代、時の権力者は、世の中を治めるのに村ごとの村社が必要と考えたようだ。ところが、五十辺村には不動堂の信仰はあったが、神社が無かった。村に神社はなくても、祈りに不自由はしていなかったということだが、神社が必要だといわれて信仰を変えたということだ。

 「信夫山めぐり」でも、そのことを説明し、「神仏分離のおかしい遺物である」と付け加えている。
 「信夫山」をまとめた方は、権力によって人々の祈りを踏みにじられたことに対する忌々しい思いを表現したのだろうと思う。

 現在は、村社の必要性はなくなったが、また不動尊信仰に戻ることもなかったようだ。
 大人気ない散歩人は、宗教を活用した権力が強引に行ったことの上に、新たな人々の歴史が刻まれ、正統性を帯びているということに、少しだけ怒っている。
 しかし、ここに建つ案内板は、大人らしい表現で「両方とも水にかかわる地域の信仰が今も残っている」と説明する。
 ふるさとの良さを見つけよう
 神社仏閣 瀧洞神社

 信達一統志には「不動尊」をまつったところで、「ちいさき瀧あり」といい「故に当地を瀧洞山ともいへり」とあって、ここの小瀧の不動尊に注目している。明治3年(1869)この地の人々が、五十辺村の村社におまつりして「瀧洞神社」とよび、水波女命を祭神として信仰はしてきた。信夫山の麓の人々の水にかかわる信仰は、いまも残されている。

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 いずれにしても、ここの元々の祭神は、この境内山際の小滝不動尊ということらしい。
by shingen1948 | 2010-05-22 05:02 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)