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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫三山~松川と競馬場の情報⑤

 先に整理したのは、戊辰、西南という国内戦争の政府側の勇士奮戦死の精忠の霊魂のみを祀ることということでの抵抗感だ。
 護国神社の境内には、対外の戦争とかかわって人道的に活躍した組織とか、戦争によって翻弄された組織の碑が建っている。
 この辺りは、国のために尽くした英霊と、人道的に活躍した人々、そして、戦争によって翻弄された人々ということで環境が整備されている。戦意を高揚という目的のために実施された福島競馬場とか、その目的のための施設については、ここでは避けられているようだ。福島競馬を取り上げた「福島はじめて物語」の著者も他所の出身者のようだ。
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 しかし、その痕跡を留めたままになっているところがある。乃木庵跡だ。
 散歩をしていて、気になったのはこの階段だ。何度か上ってみたがよく分からなかった。


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 最近になってこの碑を見つけた。草木が枯れたために、周りの様子が見えややすくなったからだ。昭和14年に二本松藩の方の敷地だった所を寄付いただいた事への感謝の記念碑だ。裏面には、乃木庵維持会とある。
 「信夫山」を確認したら、その地図に「乃木庵」が明記されていた。ただ、その説明はない。多分、地元の方は、ご存知だが語らないということだろうか。

 ここからは、勝手な想像でしかない。
 持ち合わせる情報は、「乃木庵」という名称と剣道施設だったらしいということだ。ここから、勝手に想像を膨らます。
 関係ありそうな「乃木氏」について、「乃木神社」のページからの情報を引く。
 明治45年(1912)明治天皇が崩御され、大正元年9月13日に大葬が行われるのだが、その御霊轜が宮城を出発する号砲が打たれた午後8時過ぎ、乃木希典将軍と妻静子夫人は先帝に殉じて自刃を遂げられたという。当時の国民は、こぞってこの御夫妻の忠誠心に感激したという。

 「乃木氏」と「剣道」ということだが、氏は剣術の一刀流の目録を伝授されたといわれているという。学習院院長時代には自ら生徒に稽古をつけていたとのことだ。

 これらの情報をつなぐと、この「乃木庵」の趣旨のようなものが想像できそうに思う。
 真の日本人を育成するために、剣道を通して乃木精神を継承して人間形成を行うというというようなことだったのだろうと想像する。
 中央には、中央乃木会が組織されていたとのことなので、その地方組織だろうか。

 この辺り、武道場とかかわる情報のいくつかを耳にする。
 護国神社隣りの駒山神社は、明治7年に信夫山公園として開かれた後、明治36年、武徳殿を招魂社境外に造営することとなって、駒山公園が造成されたとのこと。
 この情報の裏に、武徳殿は福島藩という旧来の精神を支えるもので、招魂社の趣旨と対立関係になるということが含まれているように感じる。
 そのことを含めて勝手に想像を膨らます。
 まず、福島城の武徳殿をこの辺りに移築した。その後、招魂社がここに建てらた。
 明治36年には、その趣旨と合わない武徳殿を他に移築した。
 それで、その跡地を駒山公園とした。

 今のところ確かな情報は持ち合わせないが、剣道場という施設に、いろいろな思惑が付け加わって、純粋に古武道場施設としては認知されなかった経緯のようなものを感じるが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2010-05-21 05:53 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)