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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫三山~松川と競馬場の情報から

 最近、地元(福島)の歴史についての本が出版されたらい。広告チラシが新聞に挟まっていた。そのチラシの特色をアピールするためのぺージ見本の中にこの地図があった。それを見て、気になることが二つ。
 それが、「松川」と「競馬場」だ。
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 まずは、現在は信夫山の北麓を流れている松川についてだ。
 ここで表現したかったのは、松川合戦の時代、この松川は、信夫山の南麓を流れていたということのようだ。その当時の松川の跡が、現在の祓川の水路だといわれている。松川も荒川同様暴れ川で、洪水によって現在の信夫山裏に流れが変わったとされている。
 先に、信夫山を伊達氏とのかかわりで「黒沼神社」について整理したときにも、一般的なその説をもとにしていた。

 しかし、自分も鵜呑みにしている「この時代に松川が、信夫山の南麓を流れていた」ということに疑問を投げかけている記事を最近みたのだ。
 「福島県史料情報 (25) 」の中の「松川と『定勝公御年譜』」という記事だ。「明確に解釈できる箇所は今のところ全く存在しない」という穏やかな言い回しがいい。
 散歩人としては、松川が福島城と信夫山の間にあって、象徴的に伊達氏と上杉氏の対立構造が明確であってほしい。
 しかし、劇画的に構図がはっきりしているというよりも、伊達氏と上杉氏の小競り合いから、ぼんやりと浮かぶ対立関係というほうが、真実に近いのかなとも思う。
Commented by hiro at 2010-05-17 23:20 x
シンゲンさん、はじめまして。
もしかしたらお会いしているかもしれませんね。
いわゆる「松川合戦」の通説については、私もかなり疑問に思っております。
よろしければ、こちらのサイトを覗いていただければ幸いです。
Commented by shingen1948 at 2010-05-18 17:08
 コメントありがとうございます。また、情報ありがとうございます。
早速、お伺いしました。
 いろいろな情報から、真実を見極める視点のようなものを感じました。ありがとうございます。

 その場に立ってようやく実感的に捕らえることができるという散歩人の立場では、その場でモデル化されたものがあるということは分かりやすいということもあります。ですから、単なる言い伝えも、そのまま受けとめていくようにしています。
 今回の情報は、その上で、情報の確からしさの検証情報を得ることができたということで、ありがたい情報です。
 いろいろ検索していますが、なかなかこういう情報に出会えません。時々、お伺いさせていただきます。

 分かりやすいモデル化と真実からのずれは、最近の史跡の公園化にもいえることのようにも思います。
 どうすれば、世の中をダイナミックな実感として捉えることができるのでしょうかね。いつも悩んでいます。

Commented by hiro at 2010-05-18 22:07 x
シンゲンさん、ご丁寧な返信、ありがとうございました。
現地を訪ねる数多くの記録を拝見して、とても感銘いたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。
Commented by shingen1948 at 2010-05-24 11:06
その後のブログも、見させていただいています。戦記からの「松川合戦」考察の記事も感じるものがありました。
松川が、信夫山南側を流れたという考古学的考察はないというのは、インパクトのある表現ですね。

確かに、散歩では、信夫ケ丘球場あたりや松川橋の上流南側に旧河床を感じますが、信夫山近辺では感覚的にはとらえていませんね。成る程と思うところがあります。
by shingen1948 | 2010-05-17 05:01 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(4)