地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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藤田宿

 かつて、藤田集落は、藤田城の西側の丘陵地帯にあったという。それが、現在地に移されたのは、江戸時代に越後街道が整備され、そこに宿場としての形を整えた時点で、現在の藤田村に移転してきたと考えられているらしい。
 ただ、明治の火災で、寺と共に詳細を証明する文献等も消失してしまっているという。
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 「会津高田町郷土歴史読本」では、日光街道の間道として重要な地で、この藤田宿ができたのは、慶安元年で、伝馬や伝馬人足の宿所も、制札所も置かれたという。
 高田駅については、越後国と会津藩や南山お蔵入りの間の物資の中継点と説明する(板下駅―高田駅―市野駅―大内駅―楢原駅)。これらの関わりからは、越後街道の間道ともとれる。この地区について詳しい方によれば、文献的には、この宿に関する記載は1件しかないとか。
 
 今でこそ周りの道路が広がって目立たないが、昔はここの道だけが広くて真っ直ぐな道だった。交通量が少ない時代は、この路上で、味噌作りをしているのを見かけたものだ。その位広いと思った道だった。
 最近、この村の「おやかっさま」にかかわる資料がみつかったとか。なじみ深い風景だと思っているが、まだまだ知らない事実が見つかるということに、人の営みの歴史の奥深さを感じてしまう。
by shingen1948 | 2010-05-13 05:09 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)