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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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藤田城跡(高田)

 この城の時代は、室町時代後半で、平場・堀切・土塁の遺構が残る。
 大きさは、先に記したように、東西29間 南北19間で、言伝えによると、文治年中藤田式部忠重が築いたとされる。
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 その構造について、「高田町町史」に説明される。その概要を理解するのには、古墳との重なりを知る必要がある。地図に表されている藤田城付近図を借りて、そこに古墳の番号を加えておく。

 説明と合わせると7~10号墳ということで、10の古墳が存在するように思うが、地元の方は南に7つの円墳が連なるという。なお、町史には、藤田城の詳細な図が提示されている。
 藤田城では、そのうちの4つの古墳を、物見台として転用いていると説明される。(主曲輪は、8号墳あたり)


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 これが、北の10号墳あたりだ。この山頂は、現在は村の共同墓地になっている。ここでは、太鼓を叩いて集号や連絡に利用されたのではないかといわれているらしい。通称「太鼓山」と称されているらしい。


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 これは、日光街道側から、藤田城を眺めたところだ。主曲輪からこちら側にかけて、高さ約50㎝の土塁が南北に認められるという。更にその手前の斜面に平場が連続して認められるという。ここからは、その様子は確認できない。
 この城跡の南側には、丘陵が連なっているが、その間には幅5mの堀切があって、区画されているという。


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 これは、北側から藤田城へ近づけそうな道だ。ここを進んだ所に墓がある。そこから主曲輪に登れるそうだった。

 「高田町町史」に沿って、稲荷神社は藤田舘、藤田城跡は藤田柵として整理したが、「会津高田町郷土歴史読本」では、藤田水地入口にある古木根元の山神の祠から西方約100mの平地が藤田柵とも、現在の稲荷神社が藤田柵とも表記している。
by shingen1948 | 2010-05-12 05:43 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)