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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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藤田舘(高田)

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 藤田大光寺板碑で供養されているのは、藤田式部忠重夫人だが、その藤田式部忠重は、藤原氏の支族とされる。
 「会津高田町史」によると、その居舘は、藤田の稲荷神社境内とされる。


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 「会津高田町郷土歴史読本」では、文治5年(1189)藤原氏の滅亡後、この藤田氏が、この地に逃避して柵を築いたとする。藤田氏にかかわって、この村の呼称が藤田村となったと「温故捨要抄」にあると説明する。


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 これは、藤田舘跡とされる稲荷神社から、その南側を見ている。この左手高台が藤田村柵である藤田城跡で、この右手に旧藤田村落があったとされる。
 この藤田城跡は、「高田町町史」によると、「会津古塁記」に「藤田村柵 東西29間 南北19間 文治年中藤田式部忠重これを築き住す。村名も家名以て名にす。佐藤秀衡の婿伊達より逃来る。」とあるという。
 素人との発想では、「佐藤秀衡の婿伊達より逃来る」からは、大鳥城の佐藤氏と藤田氏のかかわりを想像し、その佐藤氏と藤原氏の深いかかわりと想像してしまうところがある。
 内容的に「奥州侵略の路」のカテゴリーに入れるが、藤田城が、二つ重なる。先に整理したのは、国見町の藤田城だ。それで、こちらには(高田)と旧町名を付け加えて表示する。どちらも藤田氏がかかわるので、気になるところではあるが、今のところ、この二つの城にかかわりはなさそうだと思っている。 


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 何故か、稲荷神社脇の大切にされる石が気になる。
by shingen1948 | 2010-05-11 05:04 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)