伊佐須美神社
2010年 05月 05日
会津高田町に鎮座する岩代国一宮「伊佐須美神社」に立ち寄った。
参道には朱の大鳥居が立ち、その奥には立派な楼門が立っている。その楼門は白い布で目隠しされている。
この門は、神のための門で、本来は、門の外から白い布で目隠しされた境内に向って参拝するという。ここは一の宮、由緒正しい神社では、それが一般的らしい。
門が開くのは年に数回の大祭の時で、神輿がこの門を通って境内に出入りするという。
現在は、楼門横の入口が開いていて、中に入って参拝することができる。
この神社の林は、伊佐須美神社の神域で、草木を取ることを禁じられていた。それで、杉の植樹以外は、自然林が残されたとのことだ。結果的に、この社叢には会津平坦部開拓以前の生態が残ることになったという。植物に詳しくないのでよく分からないが、ハルニレ、ケヤキ、ケンポナシ、キタコブシ、アオナラガシワの巨木が自生するという。下生えの低木はアブラチャン、ニワトコ、チマキザサ、草では、エゾエンゴグサ、ニリンソウ、ヒメラ等がみられるという。
ただ、残念なことは、平成20年(2008)10月29日本殿と神楽殿を結ぶ渡り廊下下の倉庫から出火し、本殿をはじめ神楽殿・神饌所などを全焼してしまったとのことだ。同年12月20日には、仮本殿が完成したが、規模は以前の本殿と比べ三分の一程度という。
朱の大鳥居前に掲示されているのは、再建計画図だろうか。
祭神は、伊弉諾尊 伊弉冉尊 大毘古命 建沼河別命の四柱が伊佐須美大明神。
案内板によると、由緒は、次のようだ。
崇神天皇十年(522年)、天皇の勅命を受けた四道将軍のうち、北陸道を進んだ大毘古命と、東海道を進んだ建沼河別命の親子がこの地で出会った。この時、国家鎮護のため、新潟と福島の県境にある御神楽岳(1386m)の頂に、「伊弉諾尊・伊弉冉尊」の二神を祀ったのがこの伊佐須美神社の創祀とされる。以来1,400有余年、岩代の国一ノ宮会津総鎮守の格式をもつという、会津文化発祥の象徴のようだ。
その後、博士山、明神ヶ岳を経て欽明天皇13年(522年)に高田南原の地に遷御し、更に同21年(560年)現在の宮地に御神殿を造営した。