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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫三山29 ~ 念仏橋2

 念仏橋碑については、先にふれているはず。薬王寺の時か、羽黒山への旧参道の整理の時か?写真を撮った記憶もある。
 そう思って探してみたが、見つからない。思い込みのようだ。
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 今、その念仏橋碑が建っているのは、羽黒山への旧参道と薬王寺への道筋とが交わる所だ。


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 ここに来るのには、羽黒山の旧参道に入る。急な坂を登って来るのだが、途中、一息つかないと登りきれない。


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 立ち止まって下を覗き込んだら、土地開発中の景色が見えてしまって、興ざめだ。
 街中の山だから、景観ばかりをいっていられないのは分かる。しかし、最近、市民の山と強調していたはず。
 せめて旧参道からの視野から外れる程度の配慮を望むのも、散歩人の戯言だろうか。


副碑と共に案内板がある。

 ふるさとの良さを見つけよう
 史跡 念仏橋
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 この板碑は、文永10年(1273)の銘がある。もとは、甘粕の碑の近くにあったという。いつの頃か信夫山の裏、泉川の橋に(国道13号線信夫山トンネル北口近く)かけられていた。春秋2回、村がこの橋の上で念仏をあげてきたことから「念仏橋」の名が生まれたという。
 昭和6年(1931)村人たちの手によって、この地に移され再び信夫山に戻った。
 大日如来を信仰した息子が母親のために祈ったものと読めたが、現在は、風化して面影を偲ぶだけである。
 そばの副碑は堀江繁太郎先生のかかれたもので、その様子が書き記されている。

 ディスカバー・マイカントリー
 福島信夫ライオンズクラブ


 ここにある「堀江繁太郎先生の副碑」も、なかなか判読しにくくなっている。「信夫山」に、刻まれていることが記されている。
 此供養塔は人皇第90代亀山天皇の御宇の遺物にして風餐雨蝕650有余年刻文漫漶完読を得ざるも、
 正面には金剛界大日如来の種子、其下には「文永10年葵酉10月、幸子等敬白」の13字
 左方に「右志者為、母之時」の7文字、右方には「、、菩提門造立之如件」の8字尚模索すべし
 而して文体書風于支の處理刻錆の手法及其野面石を用ひて趺石を据えす樹塔者の名を欠ける等当時信達地方に於ける作業奉仕の風習並金石文の形式を観るへき稀有の資料なり云々

a0087378_583567.jpg ここから、羽黒山への参道が続く。
by shingen1948 | 2010-05-04 05:13 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)