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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫三山27 ~ 白土山

 今日は会津へ出かける用事があった。
 用事自体は、ゆっくりの日程だったが、途中の混雑を考えて早朝から出かけていた。
 会津は、どこでも桜が見ごろだった。この5月の連休と桜の季節が一致するのは珍しい。
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 信夫山の整理が中途なので、そちらを先にする。
 「信夫山」に、福島焼きについての紹介がある。それは、この白土山の土を使っているとのことだ。成分としては、長石の風化したものとのことだ。


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 この土は、元々農家の土蔵の白壁として使用していたが、若松工業の成分分析によって、薄手の皿物に適することを確認しているらしい。(明治41年12月27日福島民友)
 それをもとに、明治44年には福島製陶所が設立され、この土を使って「福島焼き」が生産されていたとのことだ。
 その間、ここでは、白土採掘が進み、野天堀の白土山には、巨大な洞窟ができていたということだ。しかし、この工場は10年ほどで閉鎖したとのことだ。その後も、米つき用、壁土用として細々と採掘されていたが、昭和初年には廃業し、洞窟は、戦後に破壊して埋め立てられたという。

 福島製陶所を設立したのは、福島瀬戸加賀屋の金沢忠右衛門という方で、狐塚地内祓川畔地に工場を新設したとのことだ。絵付けは本郷窯元から伝習し、大正元年には、製品を産出しているという。
その工場の位置は、まだ確定できないでいるが、「信夫山」の記載からは、以下のヒントが読み取れる。
○半島状に延びた段丘上。
○保健所の南
○福女の北西
○西向かいに絹撚工場があった。
○大正末まで、煉瓦の大煙突と登り窯の残骸があった。

 なお、明治14年の福島日々新聞創刊の記念品として「福島焼き」の銚子が配られたが、これが、この土を使っているかどうかは、手掛かりはないという。
 また、42.2.26福島民報では、中野村で陶土発見や吾妻山麓一帯で白土埋蔵、庭坂採掘が報じられているという。この庭坂採掘は、今の先達窯のことだろうか。
by shingen1948 | 2010-05-02 18:47 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)