信夫三山26
2010年 04月 30日
その時にもふれているが、この坂道は古道のようだ。
文治の頃、信夫庄司基治が羽黒神社への参道として開いたと伝えられている。また、信夫山の「暁詣り」に北西部の村むらの人たちが必ず通った参道であったということだった。実際に、暁参りの時には、担ぎ手の方々は、この坂を下って戻られる方が多かった。
この坂は、何度ものぼりおりしている。ある時はただ登ってみたくて、ある時は、その景色にひかれて、ある時は目的地に行くために……。
今年の秋の彼岸花の頃の景色が気に入っている。
登拝口近くの山神は、いつも気になっていたが、それだけだった。
最近、先に整理した転石の湯殿のミイラの伝説とかかわる山神が、ここに移されてきたものらしいことが分かった。
この登拝口の清水については、先に触れたが、その近くに、先達大宝院があったという。
山際には、茶屋があったという。
現在は、公園になっているこのあたりが、御山小学校の跡ということだが、山際の茶屋というのはこのあたりにあったのだろうか。