地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建物⑥―その5

 このノートルダム修道会の創立にかかわる品も展示される。修道会としては、こちらがメインの展示だろうか。
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 この教会のスタートは、昭和7年(1932)に、日本の教会の要請に応えてカナダのモントリオール市に本部のある修道女会から5名のカナダ人修道女が日本に派遣され、布教活動を始めたということのようだ。そして、昭和10年(1935)には、この修道院が建築される。
 そのスタートにかかわった質素な日用品が展示されている。


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 修道会の生活の場である部屋を見学するが、先に整理したように、ここは抑留所でもあった。
 したがって、修道会の人々の生活の場として案内頂いたところは、抑留された人々の生活の場でもあったということでもあるということだ。

 昭和16年(1941)第二次世界大戦が勃発すると、修道院は政府によって強制的に借り上げられて閉鎖せざるを得なくなる。この時、修道会の会員達は会津若松市に軟禁される。

 この案内を頂いている時に、ドイツ系とカナダ系があるという事を聞いていた。
 しかし、なんとなく聞いていたような気がする。この教会の戦時中を挟んだ歴史という点では、大きな差のはずなのに、気がついたのは家に戻ってからだった。
 ドイツ系なら日本の同盟国であり、カナダ系なら敵国ということだ。
 たまたま、最近「村岡花子の生涯」を目にしているが、その中に、カナダ系の宣教師の方は、敵国人として収容所に入れられたり、帰国させられたりしているということがあった。こことは、宗教としての系は違うようだが、敵国と見られる立場は同じだったのではないかと想像する。

 修道会の会員達も、同じように軟禁されていたということであり、会津若松市にはそういった軟禁場があったということである。
 返還された後の歴史を、パンフレットは次のように軽く記述する。
 修道院に19名の戦災孤児を受け入れて養育することになる。この子供達への教育が、「桜の聖母学院」設立につながり、会の設立目標である教育事業誕生の基になった。

 しかし、返還された後というのは、自分が軟禁を解かれた時ということでもある。その時に行ったのが、敵国として扱われた国の戦災孤児を受け入れたということだ。そして、そのことが、会の本来の目的につながったという意味を含むという重みがあることのようだ。
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 このコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会の創立者は、マルグリット・ブールジョワ氏とのことだ。フランスのトロワ市に生まれで、1653年カナダに渡る。
 酷寒と貧困の中で、新しい国造りに励んでいた人びとと共に生活し、その中で子女の教育を通して健全な家庭と社会の育成に力を尽くすことになったという。
 この灰色の小さな陶器で表現されているのが、その建物とのことだ。
by shingen1948 | 2010-04-26 05:02 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)