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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建物⑥―その5

 ここでも犠牲者がいらっしゃるというのは、残念ではある。しかし、それが、残虐な体罰などによるものでないということは救いでもある。

 1945年4月7日に、オーストラリア人看護婦エリザベス・グリソンが、病死。
 その8月28日には、米軍が投下した救援物資の直撃を受けてオランダ人女性キャロライン・エレーナが死亡。
 その墓が、信夫山墓地にあるようだ。戦後になって、グリソンの遺骨は横浜の英連邦墓地に移されたとのこと。エレーナの遺骨は抑留中に結婚したギリシャ人の夫が持ち帰ったとのことだ。

 昭和17年(1942)5月10日インド洋でイギリス客船ナンキン号が、ドイツ軍艦トール号に拿捕の情報をもとに、いろいろ検索してみる。この情報が、かなりモデル化されているようだということが分かる。

 「ナンキン号」を検索すると、船籍がイギリスであったり、オーストラリアだったりする。また、船種も商船であったり客船であったりする。「トール号」も軍艦であったり、仮装巡洋艦であったり、襲撃艦であったりする。
 そこには、本音と建前、欲と大義の問題が内在し、それをオブラートに包むためのカモフラージュということがかかわるようだ。「通商破壊」などという概念や、ドイツとイギリスの海軍の事情、そして、日本との同盟関係なども分からないと、よく理解できないことらしいことが分かる。

 とりあえず、ナンキン号の消息確認。
 ナンキン号は、オーストラリアからインド向けに大量の軍隊用食料を搭載したまま捕獲されたらしい。コンビーフ,羊肉,バター,チーズ,ママレードなどオーストラリアの缶詰が多かったらしい。 そのことが、回航される理由だったようだ。
 この物資を、ドイツ海軍は伊豆箱根鉄道のバスを貸切って、横浜から箱根まで運んで、箱根ホテルの倉庫などに保管していたという。
 その捕獲物資を、在日ドイツ軍人とドイツ民間人に供給されていたということのようだ。

 ナンキン号の船体は、7月にドイツ海軍回航要員の手によって横浜に回航され、横須賀審検所の検定で、ドイツ海軍の捕獲物件として認められてロイテン号と改名したようだ。
 一種の船上ホテルまたは捕虜収容船として、埠頭に固定して活用されていたようだ。
 9月には、ドイツ海軍は、この船に「駐日ドイツ大使館海軍武官分室」を設けているようだ。そこで、横浜に入港した大量のドイツ艦船と拿捕船舶の処理事務を行ったとのことだ。
 その後、ドイツのタンカー「ウッカーマルク」の爆発火災事故の巻き添えで、「トール号」や日本の海軍徴用船第三雲海丸とともに、失われたという。この時、横浜港内の設備も大きな被害を受けたという。
 
 これらは、有名な出来事らしく、その捕えられた乗客141名が、この福島の収容所に移送されたという話につながるということらしい。
by shingen1948 | 2010-04-24 06:03 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)