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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建物⑥―その4

 このノートルダム修道院は、戦時中は外国民間人140人を収容する抑留所としても使われたという。そのことと関わる品が展示されていた。
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 展示品の一つが、「ナンキン」と銘のある小さな鈴。(台の中央にあるもの)

 昭和17年5月10日、イギリス客船ナンキン号が、インド洋でドイツ軍艦トール号に拿捕され、乗員乗客が捕えられた。トール号は、6月24日に(横浜?へ)入港し、捕えられた乗客141名は、この福島の収容所に移送されたという。
 この鈴は、その拿捕された時にのっていたイギリス客船ナンキン号のものとのことだ。

 抑留された方々の国籍は、ギリシャ、イギリス、オーストラリア、フィリッピン、南アフリカなど、さまざまで、年齢も0歳から60代までと幅広く、職業もさまざまだったという。
 もう一つの展示品に、収容された方々が使っていたチェスの盤がある。そこには、中国の方もいらっしゃったような痕跡が残る。

 そのさまざまな抑留者を、男女別々の区画に収容し、厚い鉄の扉で隔てられていたとのことだ。抑留者たちはその扉越しに秘かに会話をしたり、扉の下のすき間からメモをやりとりしていたとか。
 抑留者たちには外出を許されず、1年中窓を閉め切って暮らしていたので、近隣の人々はその存在をほとんど知らなかったという。

 案内してくださった方は、それでもここの抑留所は、他に比べ体罰がほとんどなかったのが救いかなとおっしゃっていた。
 ただ、窓を開けることが禁止されている中、そっと毛布を干すために窓を開けた時に、運悪く下を通りかかった特高に見つかり、体罰を受けたという残念な例はあるとのことだ。
 ここを訪れた方の証言だろうか。

 この抑留所の存在は、1944年3月に国際赤十字が視察に来るまで、本国にも国際機関にも知らされていなかったという。
 もう一つ展示されているのが、抑留者の方々が解放された時の記念写真。

 先にも記したように、ここは空爆の歯止めとはなっていなかったようだ。
by shingen1948 | 2010-04-23 05:04 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)